まずは話題作り、実はプロモーションのため

 こうした傾向は、ウェブの世界でも見られるようになりました。映画宣伝のために時間が用意されたたインタビューは、映画の話を中心に……ということが大前提でした。ですが、プロモーションのための記事は、実際には、各媒体が趣向を凝らしたとしても、どれも似たり寄ったりの記事に見えてしまい、見出しに映画のタイトルを付けても、思ったように見てもらえないこともあるものです。

 そのため、各社は、映画の内容を聞きつつも、その人の仕事論であったり、人生論であったり、角度を変えて記事を作ったり、タイトルを考えることで、そのページのPVを上げ、その結果、映画のことを知ってもらえる記事構成にする媒体も増えたように思います。

 また、映画のプロモーションのイベントなどには、そのときに熱愛報道が出たような話題の人物をあえてキャスティングし、その興味から報道陣に集まってもらうようなやり方も多かったように思います。それはそれで、肝心の詳しい内容があまり伝わらないというデメリットはあるのですが、少なくとも、映画の話題はテレビに映し出されることにはなります。

 先日、冒頭で挙げた斎藤工さんが、映画のプロモーションイベントに出演。「笑ってはいけない」の反響に対してコメントをして、たくさんのニュースになっていたのを見かけました。こういうとき、熱愛の渦中にある人物では、記者をイベントに引き付けておいて「ノーコメント」で終わることも多いものですが、斎藤さんのような年末の番組の話題であれば、コメントもしっかり出せるし、映画のことも記事やニュースになって、一石二鳥なのかもしれません。

 また、斎藤さんは2016年1月に『行列のできる法律相談所』に出た際、ドラマの番宣をしないといけないにもかかわらず「僕は番宣で出る俳優が嫌いなので」と前置きして、「番宣は(文字)スーパーで大丈夫です」と言い切った人でもあります。もちろん、そのときも結局はドラマの告知自体はあったので、ネットでは賛否両論ありました。

 バラエティ番組内での番宣に対する疑問が話題になってしまう昨今。だからこそ、番宣に対してはっきりした意思を持つことは悪いことではないと思うし、その姿勢があるからこそ、番宣目的ではない「笑ってはいけない24時」にも出演して、俳優としてコメディ演技で笑わせるという仕事を全うして、「どんな場所でも全力でやっているぞ!」という姿勢も含めて人々の評価を得たのでしょう。

 ただ一方では、映画やドラマの場合は、その作品がどういうものなのかをしっかり知りたい人も増えていることを感じます。ドラマや映画はいろんな批評を聞いたとしても、見る前では自分の意見とすり合わせたりする楽しみはなかなか得られません。でも、作品を見た後には、誰かの意見を求めたり考えたくなったりします。

 だからこそ、番組名や概要が伝わればいいという番宣だけではなく、内容についてしっかりとした考察であったり、感想であったりを知ることのできるメディアというものも、特に活字媒体では、求められているのではないかと思うのです。

文/西森路代 イラスト/川崎タカオ