東京ミッドタウン(東京・港区)で5月19日(土)~20日(日)に開催された「WOMAN EXPO TOKYO 2018」。19日には、女優の草刈民代さんのトークセッション「“自分らしさ”を追い求めながらキャリアを築くヒント」が行われました。聞き手はアナウンサーの猪井操子さんと、日経ウーマン編集長の藤川明日香。バレリーナとして世界各国で公演し、映画出演など幅広く活躍した後に女優に転身した草刈さんに、自分らしく生きながらキャリアを重ねるヒントを語っていただきました。

バレエを始めた頃を振り返る草刈民代さん
バレエを始めた頃を振り返る草刈民代さん

忘れ物の多い問題児がバレエにのめりこんだ

 小学2年生からバレエを始め、「いつかはプロに」と高い志でレッスンを続けてきたという草刈さん。最初に、子ども時代やバレエとの出合いについて聞きました。

 「私は年子の3人姉妹の長女ですが、小さい頃は忘れ物が多くて落ち着きがなくて、宿題も絶対やっていかない子でした(笑)。親は『どうしてこの子だけ……』と手を焼いていたと思います。でも小1の時、札幌オリンピックのフィギュアスケートでジャネット・リンさんの演技を見て、憧れました。それからずっとスケートのまねをしていたんですが、ふとバレエをやりたいと思ったのが習い始めたきっかけです」

 いつも凛としたたたずまいで「しっかりもの」のイメージの草刈さんが、かつては問題児だったとは意外です。会場を埋め尽くした参加者も意外な表情で聞き入っています。

 「気分屋さんだった草刈さんが、バレエだけは続けられたのはどうしてですか?」と藤川編集長が尋ねると、こんな答えを返してくださいました。

 「人と同じことをやるのが嫌で、『人と違う自分』に憧れていたんです。だから、最初からプロフェッショナルになろうという強い気持ちでレッスンをしてました。小学生の間はレッスンは週2回までだったのですが、レベルの高い次のクラスに上がった後も以前のクラスを引き続き受けたくて、自発的に週4回通いました。小学5年生以降は別のお稽古場にも通うようになり、初めて、自分が思った通りに生きられているという手応えを感じました」

 地道な努力を重ねてバレエの道に進んだ草刈さんは、デビューして以来ずっと、主役クラスを演じています。1990年にはソ連・レニングラードで初の海外公演も行いました。しかし、バレエの本場で日本人が主役で舞台に立ったため、嫌がらせを受けたこともあったそうです。

 「『白鳥の湖』の主役・オデットには、舞台の端からクルクル回りながら移動する場面がありますが、回転するステップってその舞台に慣れるまでは怖いんですよ。特にロシアの劇場は舞台が傾斜していて、誰もが気を使うステップなのに、ステップが始まった途端にコール・ド・バレエ(群舞)の子が何か叫んだんです。そしたら周りの子たちがクスクス笑って……。何が起きたんだろうと思っていたら、同じ演目で日本公演を行った時も同じことをされたから、『ああ、意地悪されているんだな』と気付きました」

 実力が認められてゲストとして招請されたにもかかわらず、異国の地、未知のバレエ団で心無い仕打ちを受けた草刈さん。どうやってその状況を乗り越えたのでしょうか。

 「そういうことに神経を使うと消耗しちゃうから、知らん顔していました。認めてもらえれば、そういう意地悪ってなくなりますよね。その人たちに対して何か働きかけることより、自分がどれだけ踊れるかに挑戦していくほうが、周りの態度は変わりますから」と、草刈さんは事もなげに話します。

 周りの人が自分を受け入れてくれなくても、目の前のことに集中することで自然と雑音は消えていく――日々の仕事の中で、上司や同僚、先輩との人間関係で悩む人にとっても、ヒントになる一言でした。