「哲学」ってむずかしいことだと思っていませんか? 「哲学」とは、「ものごとの正体を知ること」。哲学者の小川仁志さんが、身近なことを題材に分かりやすく哲学の視点から読み解きます。今回のテーマは、現在公開中の映画「シン・ゴジラ」。ゴジラシリーズを見たことのない女子にも人気の様子。そのワケはなんでしょう?

ただのパニックムービーではない

 これは単なるゴジラシリーズの新作ではありません。この映画には日本のすべての問題が詰め込まれています。大地震、巨大津波、原発事故、首都機能の脆弱さ、戦争、テロ、対米従属、危機管理、縦割り行政、事なかれ主義、リーダーシップの不在、国際交渉力の欠如……。

 もともとゴジラは、1954年に核兵器の副産物として描かれ、核時代の鬼子として登場しました。そして人類に恐怖を与えると同時に、核への反省を迫ってきたのです。その人智を超えた破壊力は、荒ぶる神にさえなぞらえられてきました。

よーく見ると、目は可愛いんです (C)2016 TOHO CO.,LTD.
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 人類にとって恐怖であり、敵であるはずのゴジラは、それでもなぜか人々の心を引き付けてやみません。そこもまた神に似ているといえます。私たちは神を恐れると同時に、愛してもいるからです。

 今回のシン・ゴジラもまた、核廃棄物が原因で誕生した新しい生物なのですが、それはもうメルトダウンを起こした動く核施設としか思えないほどの危険な存在です。それが東京のど真ん中に現れて、街を破壊するのですから、日本はあたかも大災害に見舞われたかのような混乱に陥ります。

 その破壊と混乱の様子は、おそらく映画を観ていたほとんどすべての人にとって、ある種のデジャブ(既視感)と映ったのではないでしょうか。そう、あの東日本大震災です。大地震が起こり、国内観測史上最大の津波が人々を飲み込み、原発がメルトダウンを起こして爆発した大災害。

 にもかかわらず、テレビを通じて流れてくるのは、想定外を繰り返してうろたえるだけの政治家と、恐怖を煽るだけの知識人やマスメディアの妄言ばかり。縦割り行政の弊害が露呈すると同時に、いかにこの国に危機管理と政治的リーダーシップが欠けているかが、まざまざと内外に知れ渡る結果となりました。また、この国がいかにアメリカに頼り、いかに従属状態に置かれているかということも再認識する機会となりました。

 ゴジラが核時代の鬼子であるならば、もはや核を持ってしまったこの世界はゴジラと共存していかざるを得ません。荒ぶるゴジラが世界を襲い、破滅的な状況を招いたとき、さて、私たち人類はどのような選択をすべきなのでしょうか。