各界で活躍している働く女性に、今の自分をつくった「10のこと」を伺い、その人物像に迫る本連載。今回は、日本での出版社勤務を経て、現在はニューヨークを拠点に活動する文筆家・岡田育さんです。

 出版社を退職後にエッセーの執筆を始め、2015年には渡米してパーソンズ美術大学グラフィックデザイン学科に入学した岡田さん。修了後の現在は、ニューヨークを拠点に執筆・編集・デザインの分野でフリーランスとして活動しており、6月2日には3冊目の単著「天国飯と地獄耳」(キノブックス)を上梓しました。編集者を経て文筆家、そしてデザイナーと、「本」や「文章」に関わる分野で多彩なキャリアを築いている岡田さんに、今の仕事につながった経験や、分岐点となった出来事を聞きました。

編集者を経て、ニューヨークを拠点に活動している文筆家の岡田育さん
編集者を経て、ニューヨークを拠点に活動している文筆家の岡田育さん

【質問1】「現在のわたし」につながっていると思う趣味や過去の経験は?

【回答】中学高校時代の文芸部での活動です

 中学高校時代、文芸部に所属していました。部員が持ち寄った詩や小説の原稿を印刷・製本して同人誌を作り、文化祭で売るというのが活動内容です。部活動は中高合同だったため、高校1年生の時に部長になって、全体の構成や目次、表紙のデザインを決められるようになったら、本当に楽しくて。「原稿を書く以上に、本を作ることそれ自体が好きだな」と思いました。

 実は、10代の頃は編集者という仕事を意識したことはなく、小説家やジャーナリストになりたいと思っていた時期もありました。大学時代、研究室で本を作るプロジェクトに熱中した時にこの原体験を思い出し、「卒業後は出版社で働こう」と決めました。出版社に勤めている間も、辞めてから書く仕事を始めた時も、文芸部での体験を原体験として思い出していましたね。

【質問2】「わたしを変えた」人物とのエピソードを教えてください

【回答】さまざまな人からの「文章が面白かった」というシンプルな言葉です

 特定の人物ではないのですが、「文章が面白かった」と言われたことが、今も私の支えになっています、父親の勤め先の社内報に、社員の家族が寄稿するコーナーがありました。子どもの頃、そこに父親のことをボロクソに書いたら評判になって、初めて会った父の同僚から「どんな子が書いたのか、ずっと会ってみたいと思っていたんだ」と言われて驚いたことがあります。新卒で入った出版社も、採用一次面接で不合格になるところでしたが、二次面接に進めた理由は「筆記試験の作文が面白かった」からだそう。入社後に聞かされたことです。

 昔から、友達と話していると「そんな変なこと考えるのはあんただけでしょ」と笑われるのですが、文章にすれば、自分と同じ考えの人にも出会うことができます。Twitterもその一つです。1万RT(リツイート)の反響があると「こんなに同じ思いの人がいるんだ!」と思うけれど、その1万人のほとんどが、日常ですれ違うことはなかったはずの人たちです。そんな奇縁が巡り巡って、Twitterを始めた時は会社員だった私が、あちこちから声を掛けられて10年後には別の仕事をしていたりする。「ここではないどこかにいる誰かに届くかもしれない」という、メッセージボトルを海に投げるような感覚を、文章を書くときにはいつも持っています。