この連載は、アイドルを卒業して多方面で活躍する千葉麗子さんと、本サイトの連載でもおなじみの大川内麻里さんが、うつ病をはじめとする、それぞれの心の病の体験を、等身大で、ありのままにつづったものです。「おなじように苦しんでいる人は、きっと少なくない。自分たちの話が、すこしでもそんな人たちのお役に立てば…」――。二人のこんな思いからはじまりました。
今回は、大川内麻里さんのお話です。
レイ「私たちの心の病を語っていくにあたって、生い立ちや親との関係は切っても切り離せないよね」
マリ「そうだね。私は、心理カウンセリングも行っているんだけれど、親への憎しみや恨みの感情を持て余して、どう対処していったらいいかという相談も、ものすごく多いんだ」
レイ「そうなんだ。それで、マリはどう答えるの?」
マリ「“許せること”と“許せないこと”を分けましょう、と。その上で、許せないことは許せないこととして、胸の奥にしまっておいていいんですよって。
被虐待児だった人が、親になって、わが子を虐待するというのは、よく言われる話だけれど、許せないことを許せないこととしてしまっておくのは、そういった負の連鎖を断ち切る手段にもなるのです。ただし、胸の奥にしまって凝固させておくことが大事ですって、お話させてもらってるね。
私自身も、親とむかしはいろいろあって、でもいまでは親を許し、愛しているけれど、許せないことはそれはそれとして胸の奥に凝固させてあるもの」
レイ「なるほどね。だから、これから、私たちの生い立ちや親との関係を話していくけれど、単純な憎しみや恨みの感情から、親の悪口を言う、なんていうわけではないってことよね。私もおいおい話していくけれど、親とは愛憎相半ばする出来事が、語り尽くせないほど、たくさんあったよ。マリも親といろいろあったって、どんなことがあったの?」
マリ「うん、それはね、私が思春期のころにさかのぼるんだけれど」――
❤大川内麻里の場合 ❤ ❤ ❤ ❤ ❤
経営者の父と教育熱心な母のもと、裕福な家庭で何不自由なく育った優等生――それが、私、大川内麻里に対する、小中学生のころのまわりの認識であっただろうと思います。しかし、それはただの表面上のことに過ぎなかったのです。
私の母は、専業主婦だったせいもあるかと思いますが、「娘である私の評価=自分自身の評価」になってしまっていて、私と双生児のように同化してしまっていました。小学校の中学年くらいまでは、それで特段問題も起きなかったのですが、私が思春期に差しかかり、「自我」を持ちはじめるようになると、私と母との関係に歪みが入りはじめました。否、順風満帆に見えた小学校3、4年くらいまでのあいだにも、もうすでに歪みが入りかけていたのかもしれません。
小学校高学年のころから、私が母の思いどおりにならないと、母方の祖母の家に連れて行かれ、祖母や同居の叔父らの前で、これでもかというくらいなじられるということがはじまりました。
ほんのちょっとしたこと、思春期の子どもとしては、当たり前のことでなんです。たとえば、小学校の卒業式に着る服を母が選んで買ってきたのですが、それではなく「自分で選んだものを着たい」と言った、というようなことでです。
ちょうど、私が小学校5年生の夏休みに引越しをしており、母にとっては、私が自我を持って、思いどおりにならなくなってきたという戸惑いに加え、新しい土地になじめないという状況もあり、引越しうつのような状態もあったのかもしれないと、いまでは思います。

また、私の引っ越した先の学区の中学校は、福岡県でいちばん偏差値の低い学校でした。それで、母は「中学生からは塾に行かなければならない」と。
でも、私は友だちといっしょに部活を楽しみたかったんですね。母は、もちろん許しませんでした。そして、中学校の終業の時間になると、車で学校まで押しかけてくるのです。私が部活をしている場に現れて、「さっさと塾に行け」と。逆らえずに、車で連れて行かれる私…。
そんな様子なものですから、同級生たちからは奇異の目で見られ、友だちも去って行き、先輩たちからのいじめに遭うようにもなりました。




