厚生省(当時)がまとめた89年の人口動態統計で、合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子供の数)が過去最低の1.57となったことが発表されました。これがいわゆる「1.57ショック」です。人口統計調査が開始され、合計特殊出生率の算出が始まってからの最低記録は「丙午(ひのえうま)」にあたる1966年で、出生率は1.58まで下がりましたが、それをさらに下回り、出生率が史上最低になったのがこの年です。

 ちなみに「ひのえうま」とは「その年に生まれた女の子は気性が激しく夫を殺す」という迷信です。あくまでも「迷信」ではありますが、将来の結婚で不利になることを恐れた親の中にはその年の出産を意識的に避けた人もいました。そのため。66年の出生率は25%も落ち込んだのです。このようなことは現在ではほとんど問題にされませんが、江戸時代には「ひのえうま」生まれの女児には「間引き」が行われていたという逸話もあります。
 それはともかく、意図的に出生率が下がった66年はいわば「例外」と見なされていたのに、89年の段階ではそれを下回る合計特殊出生率となり、この事態を深刻に受け止めた厚生省(当時)は「これからの家庭と子育てに関する懇談会」を設置し、90年1月に報告書をまとめました。その内容は「深刻で静かなる危機」と危機感を示し、「企業活動のための家庭生活」から「家庭生活のための企業活動」への転換、子育てに男女両方が関わることができる社会の実現などを求めるものでした。
出生率低下の原因は、教育や住宅事情などによる経済的・精神的負担、出産・育児と仕事の両立の困難さなどがあげられますが、一番の理由は女性の晩婚化(89年の女性の平均初婚年齢は25.8歳、男性は28.5歳で史上最高)と、非婚化(25~29歳女性の未婚率は85年当時で31%)とされました。しかし、現在ではこれらに加えて、父親が育児に十分参加できない環境なども挙げられるようになっています。

★この年の主なできごと★

女性のための初の夕刊紙「TOKYO Lady Kong」創刊:女性のためのタブロイド版夕刊紙「TOKYO Lady Kong」創刊される。しかし、ニュース記事は通信社に頼り、読み物記事にも新鮮味が感じられず、結局3ヶ月で廃刊となり、発行元の会社も倒産。原稿料が未払いのまま倒産の憂き目にあったライターたちが提訴へ。

女性雇用者数1749万人に:労働省の調査によれば89年の女性雇用者数は1749万人、15歳以上の女性人口の34.2%となった。しかし、総理府「女性の就業に関する世論調査」によれば、女性の望ましい再就職はパートタイムとの回答が61%で、フルタイム17%のを大幅に上回り、女性のライフコースは「結婚もしくは出産退職→パートで再就職」というスタイルがよしとされた。

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記事公開時、本文中に「合計特殊出産率」とありましたが、正しくは「合計特殊出生率」です。本文は修正済みです。