「水ください」という人は、ネット経由で酒場にやって来た

 筆者は、酒場の水問題が2009年の春頃に起き始めた理由は、以下の3つだと考えている。

(1)経済の停滞
(2)グルメサイトとSNSの普及
(3)酒場の文化を経験したことのない人の増加

 1つ目の経済の停滞については、前述した通り。一般人が外呑みに使えるお金が減少しているのだ。世田谷区経堂で創業33年の居酒屋「鳥へい」の店主・長谷川一平さん(68歳)に話を聞いた。

 「2000年代に入ってから、段階的に、普通のサラリーマンやOLさんの使えるお金の額が減ってきたのがわかるよね。いい会社に勤めてる人も、年俸制になって給料が下がったケースが多い。週に3回来てた人が、週に2回になったり。ボトル入れて2000円使ってた人が、1500円になったり。あと、いつも1人で来てくれた派遣のおねえさんが、時給が半分になって、ワンルームマンションを引き払って、埼玉の実家に帰っちゃった」

 居酒屋に通う人間模様は、社会の映し鏡である。2000年代前半から中盤は、輸出産業の好調やIT業界の華やかな話題の影で、年功序列制度が崩れ、正社員が減り、派遣労働が増え、賃金の下落が進み、「格差社会化」が盛んに指摘された時期だ。そして、そこに2008年のリーマン・ショック。さらに2011年3月の東日本大震災。

 しかし、「外呑みの金額を節約したい」という気持ちがストレートに「水ください」につながっているわけではないようだ。長谷川さんは話を続ける。

 「昔からのお客さんは、来る頻度や、一度に使える額が微妙に減っただけで、水くださいにはならないんだよね。飲める人は酒を飲むし、体質的に飲めない人はソフトドリンクを飲む」

 昔から居酒屋に親しんでいる人は、使えるお金が減ったからといって無料の水道水を頼むことはしないという。では、水くださいと言ってトラブルを起こすのは、どのような種類の人なのか?

 「水くださいと言うのは、ほとんどが初めてきたお客さん。商売長くやってるから、パッと見たらわかるけど、老若男女問わず、以前は居酒屋にいなかったタイプの人たちが水くださいと言う。比率としては、30代半ばより下の若い人が多いね。この辺りも学生街だからわかるけど、今のこの世代は、学生時代なら先輩、会社なら上司に酒を飲みに連れて行ってもらったことのない人が多くて、飲み屋の文化を体験したことがない」

 今回、あらためて10軒ほどの店に話を聞いたが、どの店も同じような回答だった。

 話をまとめると、「水をください」という人は、以下の2種類に分類される。

(1)居酒屋やダイニングバーに行く習慣を持たなかった人
(2)年長者に酒場の文化を教えてもらう体験を持たなかった30代以下の世代

 当然ながら、(2)は、(1)に含まれる。

 この居酒屋やダイニングバーに縁がなかったタイプの人たちが来なければ、酒場の水問題は発生しない。しかし、縁がなかった人たちが、どうして居酒屋やダイニングバーに現れるようになったのか?

 長谷川さんは次のように語る。

 「水くださいというお客さんの話を聞いていると、ネットを見て来た人がほとんどなんだよね。グルメサイトやSNSに居酒屋のメニュー写真が勝手にアップされて、誰でも携帯やスマホで見るようになった。で、写真だけ見て、食べたいと思った人たちが、ファミレス感覚、ファストフード店感覚でやってくる。うちが飲み屋だという情報はすっ飛ばしてね。ファミレスやチェーンの食堂にはない焼き鳥を食べたい! とかね。そして、来るのはいいけど、少しでも安く済ませたいという気持ちがあるから、ファミレスと同じように水を飲みたいとなる」

 酒場の水問題が多発する原因の1つは、グルメサイトやSNSが、従来は「酒を飲む場には行く習慣がなかった人たち」と「居酒屋、ダイニングバーなどの酒を飲む場」を「つなげた」ことにあるようだ。

 もともと外で酒を飲む習慣がないから、居酒屋やダイニングバーで他の客たちが酒を飲んでいるのを見ても「飲みたい」とならない。そして、「少しでも安く楽しみたい」という気持ちを持っているため、無料の水道水を頼む。「ワンドリンクお願いします」と店から言われると、「どうして水がダメなんですか!」と、言い争いを始めたりする。

 2008年の後半から2009年の前半といえば、TwitterやFacebookなどのSNSやグルメサイトが本格的に一般層に認知されるようになった時期である。また、景気が急速に悪化した時期でもある。筆者の周りで2009年の春頃から居酒屋やダイニングバーの水問題が浮上したのも「なるほど」と思うタイミングである。

 景気が悪化し不安が増大する時期に人と人が「つながる」ツールであるSNSが普及したのも注目すべき点である。

 もともとは居酒屋に通う習慣のなかった人が、寂しさを紛らわそうとTwitterで近所の楽しそうな居酒屋のアカウントを見つけて、投稿に絡んでみる。感じの良い返信をもらって、店に足を運んでみる。Twitterのおかげで、初めてなのにお店の人や常連さんと話が弾んだ。素敵な居場所を見つけたと喜んで通うようになるが、使えるお金は限られている。それで水道水を頼んで長居するという行動に出て、繰り返すうちに、店から注意される。そんな切ない話も少なくない。

 「10年くらい前、SNSのmixi(ミクシィ)が流行(はや)ってた時もいましたよ。飲み屋と知らずに入ってきて、水くださいと言う人。でも、その頃は、うちは飲み屋ですからウーロン茶でもいいので一杯お願いしますよと言うと、素直に頼んでくれる人ばかりでした。この10年で変わりましたね」

 一般層の収入が急速に底上げされる見込みがない以上、居酒屋やダイニングバーにおける「水ください」をめぐるトラブルは、今後も増えることだろう。しかし、社会の不安感が増大し、職場や地域の人のつながりがどんどん希薄になっている時代だからこそ、集う人に上下関係がなく、じわじわ人がつながる居酒屋やダイニングバーのような空間が貴重になってきていると筆者は思う。

 「水ください」という客をうまくガイドすることで店も客も幸せになったという明るい事例もある。長谷川さんの居酒屋の近くにあるダイニングバーでは、最初「水ください」と言っていた若い男性客が、店側に「ドリンクをオーダーしていただかないと」と優しく注意されながらも通ううちに酒場のルールを覚え、いい常連客になったそうだ。

 次回は、実にユニークな視点を与えてくれる人物へのインタビューを通じて、“水問題”を超越する酒場文化の形について考えてみる。その人物とは、なんと酒が飲めない下戸。にもかかわらず、酒場が大好きという。

Profile
須田泰成
須田泰成(すだ・やすなり)
コメディライター/地域プロデューサー/著述家
1968年、大阪生まれ。全国の地域と文化をつなげる世田谷区経堂のイベント酒場「さばのゆ」代表。テレビ/ラジオ/WEBコンテンツや地域プロジェクトのプロデュース多数。著者に『モンティパイソン大全』(洋泉社)、絵本『きぼうのかんづめ』(ビーナイス)など。

(2015.09.17 CAMPANELLAより転載)

文/須田泰成

CAMPANELLA[カンパネラ]
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