戦争によってなくなった日本人街

 アロハタワーができた当時の出来事をちょっと見てみると……

1924 日本からの移民禁止
1926 アロハタワー完成
1927 ホノルル国際空港開業(当時はJohn Rogers Field Airport)
    ロイヤルハワイアンホテル(ピンク色の外装で有名なホテル)開業
1928 アラワイ運河完成
1929 ハワイアン航空(当時はInter Island Airways)開業

 いろいろなことが起きていますが、注目すべきポイントは、アロハタワーが完成したのは日本からの移民が禁止された後だということです。

 日系人の先祖たちは、アロハタワーがない時代のホノルル港に上陸していました。Hotel Streetを抜けてヌウアヌ川を越えた一画、現在「アアラパーク」という名前の緑の公園がある辺りには、日本食のレストランや、日本の風呂釜を持つホテルが並んでいました。現在はパリハイウェイ沿いにあるハワイ大神宮も、かつてはこのアアラという一画にあったそうです。

 今は何もないので想像することも難しいですが、この一帯には、チャイナタウンと同じくらいの大きさの日本人街があったわけです。日本からの移民がなくなり、戦争が始まり、ホテル経営など自営業をしていた日系人たちは収容所に入れられました。そして日本人街は消えてなくなりました。

 そうしたつらい歴史はあれども、今やハワイにはたくさんのルーツを持つ人々が生活しています。純粋なハワイアンはほとんどおらず、西洋人、そして日本や中国などから移民してきたアジア系の人々の子孫も生活しています。

 ハワイの歴史というと、西洋人がやって来てからハワイ王国が滅びるまでの歴史が取り上げられることが多いですが、実際にはそれだけがハワイの歴史ではありません。ハワイという島々に人間がやってきたのは、西暦で言えば300年から500年の間だと言われています。そして今のハワイを語るうえで、移民を先祖に持つ人々の存在も欠かせません。つまり、ハワイ王国の前後にある歴史も加えることではじめて、ハワイを正確にとらえられると言っていいでしょう。

 アロハタワーが象徴しているのは、移民がやってきてからの歴史です。アロハタワーがある港からたくさんの移民が上陸してきたからです。ここが、現代に続くハワイ史のスタート地点なのです。