フランスで店を持つ覚悟

 フランスでの修業が4年目に入った頃、松嶋は何度か日本と往復するようになっていた。次第に松嶋は「フランスで修業をした多くの先輩たちがやっていない、できなかったことをやりたい」と考えるようになっていた。

 そうして導き出された結論は、「フランスで店を出す」。考えるにつけ、その決意は揺るぎないものになっていた。

 「5月とか6月くらいに休みをもらう機会が多かったんです。バカンスでニースを訪れる機会が多くなっていました。

 この街が気に入っていましたし、いつかこういったところにお店を出せたらいいなと思っていました。

 モナコではF1レースがあったり、カンヌでは国際映画祭があったり、その拠点がニースでした。だからニースの街中にあるレストランには観光客が多い。けれど、そんなに高級なレストランはない。当時ニースの街には、星付きのレストランは2店ほどしかありませんでした。

 街の規模は大きくてポテンシャルがあったのに、競争相手が少ない。戦いやすいかもしれないという勘が働きました。

 いろいろなレストランに食べに行く中で、『これくらいの料理は自分でも作れるし、自分が勝負を挑んでも勝てるだろう』とも確信していました。

 それに、ニースにはモナコとカンヌがあるおかげで、日本人もいっぱい来る。もしフランス人相手に失敗しても、日本人に対するビジネスとしてやっていけば何とか生き延びられるんじゃないのか、という思いも少なからずあったんです(笑)。

 その辺り、フランス人として考えて行動していた僕も日本人として出店する計算があったわけですが、とにかく覚悟は決まっていました」

 準備のために日本に帰った松嶋は、これまで世話になった人々に「ニースでお店を出します」と報告した。

 「案の定『本当に大丈夫か?』って言われました(笑)。

 でも当時は日本もバブルがはじけていて、どのお店も大変そうでした。だから外国だから日本よりも大変という論理は、当時においてはあまり成り立たない。そもそも商売を続けるのは国に関係なく難しいことです。

 また、ニースでお店を出す際にハードルとなるであろうポイントは言葉の壁ですが、もう4年もフランスに住んでいる。実際、言葉の壁はもう感じていませんでした。

 そういうポイントを挙げていったら、みんな『まぁ、頑張って』と応援してくれるようになっていました」

 12軒のレストランでフランス料理の修業を積み、技術を身に付けた松嶋。そのスキルを日本に持ち帰り日本で勝負するのではなく、本場フランスで勝負する。一見、無謀なチャレンジにも思えるが、実は松嶋にとっては、論理的に妥当性の高い戦略だったのだ。この辺りに、幼少の頃から養われた松嶋の観察眼や思慮深さが窺(うかが)える。

 こうして2002年12月20日、松嶋はニースに初の店舗「Kei’s Passion」をオープンさせた。その日は、松嶋の25回めの誕生日だった。