ゲストハウスという国境を越えるコミュニティ

 やどやゲストハウスのユニークさは、どこから来るのか。

 12年~13年という時間をかけて、やどやゲストハウスを育ててきた山本真梨子さんは、ご自身も元々バックパッカーで、海外の安宿を頼りに旅を続けた経歴を持つ。

 「どういうわけか、高校時代から旅をしたかったんです。卒業してすぐにお金を貯めて、オーストラリアでワーキングホリデーを1年間経験しました。最初の仕事は、日本でいえば新宿歌舞伎町みたいなキングスクロスという盛り場で、テイクアウトの寿司をひたすら売る仕事。変わった人がいっぱいいてオモシロかった」

 オーストラリアから日本に帰る際に、1年間のオープンチケットを購入。ニュージーランド、インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイなどを経由して1年。それがバックパッカーになったきっかけだった。

 「その頃は、バックパッカーという言葉を知らなかったんです(笑)。知らない土地に行って、最初はどうしていいかわからないから、そこら辺にいる日本人に助けてもらったり、勝手に後ろをついて歩いたり(笑)。でも、それで一人旅ってオモシロイなと思うようになって」

 ネットがなかった時代は、リアルタイムの旅情報がない。先進国の観光地以外における旅は、ぶっつけ本番的なスリルがあった。

 「ガイドブックの情報が古くなっていて、言葉が通じないのに宿のおじさんに聞くしかなかったこととか、たくさんありましたよね。ハプニングも多かったです。いろんな国の国境で足止めをくらい、カザフスタンでは一カ月も言葉の通じない町にいたことがありました。後になって、国際指名手配されていた同姓同名の日本人がいたからだとわかったんですが」

 高校時代は写真部に所属。一眼レフのカメラを持ち歩いていたため、旅先で出会ったカメラマンが旅行関係の仕事の多い編集プロダクションを紹介してくれた。「海外に行くなら写真を撮ってきてよ」と言われたのがきっかけで写真家に。現在も、やどやゲストハウスの仕事と兼業で撮影の仕事をこなす。

 「結局、ノープランがオモシロイんですよね。でも、今バックパッカーをしている日本人の子は、知らない土地をゆっくり楽しむということをしない人が多い。観光地をまわって写真を撮れば終わり、みたいな。でも、今のアジアの若い人たちは、自分がバックパッカーだった頃と旅の感性が似てるんです。ヨーロッパの人たちは以前から変わらずずっとそうですね」

 やどやゲストハウスに集まる旅人は、山本さんのそんな人生観に引き寄せられているのかもしれない。