関根近子さんの資生堂におけるキャリアの出発点は出身地の山形販社の美容部員(現ビューティーコンサルタント=BC)。そこから子会社「ディシラ」や販社での営業部長、支社長を歴任し、55歳で初めて本社勤務となり国際マーケティング部美容企画推進室長に。58歳で美容領域を統括する執行役員に登用され、60歳でBCからは初の執行役員常務になった。

 「日経WOMAN女性が活躍する会社Best100」ランキングで連続トップの同社。全世界で活躍する資生堂BCのトップランナーとして輝かしいキャリアを築いてきた関根さんが、12月末日をもって退任する。退任を前に、これまでのキャリアを支えてきた信念や後輩である働く女性たちへ伝えたい思いを語っていただいた。

(インタビュー・麓幸子=日経BPヒット総合研究所長・執行役員、取材&文・阿部まさ子、写真・大槻純一)

一度だけ辞めたいと思った

――就職したときに、現在のご自分の姿はイメージしていましたか。

関根 いえ、こんなに長く勤めるとは思ってもいませんでした。当時は結婚したら辞めるという時代でしたから。入社から43年9カ月になりますが、振り返ってみますと、あっという間のような気もするし、とても長い年月だったような気もするし、その両方の感慨がありますね。資生堂での日々はこれまで生きてきた62年の人生そのものという気もします。この間、いろいろな人との出会いを通して、また新たな仕事に取り組むなかで、その折々に成長させてもらったなというのが今の心境です。

――美容部員として入社したきっかけはどんなことだったのですか。

関根 高校時代は教師になりたいと思っていたのですが、家庭の事情で進学することが叶わず、進路指導の先生の勧めで資生堂の山形の販社に就職しました。憧れていた先輩が美容部員になっていて、見学に行った職場で輝いていたことも入社の決め手になりました。あんなふうに素敵な女性になりたいなと思って、入社してからはその先輩の仕事ぶりをじっと観察して、よく真似をしたものです。

――これまで辞めたいと思ったことはありましたか。

関根 一度だけ、ありますね。入社して5年ほどたって、顧客の新規開拓のプロモーションチームに配属されたときに、ショッピングセンターで通りがかりの女性に化粧品を勧めようと声を掛けてはイヤな顔をされ、断られるということが続きました。それまでは、売り場に来てくださったお客さまにカウンセリングして商品を売ることが仕事だと思っていたんですね。ところが新規開拓はそうはいきません。来る日も来る日も断られてばかりで、仕事に自信や誇りが持てなくなり、これが一生をかけてやりたい仕事なのかどうかわからなくなってしまった。辞めたいと思ったのはこのときです。

――仕事の壁にぶつかったということですね。それをどうやって克服したのでしょうか。

関根 悩んでいる様子を察した先輩がこうアドバイスしてくれました。「私たちの仕事は化粧品というモノを売ることではなくて、お客さまが自分の美しさに気づいて、そこに喜びや自信を感じてもらうことなのよ」と。売ることが仕事だと思っていた私には思いがけない言葉でしたが、この一言が転機となりました。買う気のないお客さまをどうやって立ち止まらせ、話を聞いてもらうか。それは自分なりに工夫と努力を重ねるしかないんですね。その結果として商品を買っていただいて、次にいらしたときに「とっても良かったわよ。ありがとう」と言っていただく。お客さまの声は、努力したことへの評価、通信簿だと思いました。大事なのはお客さまに支持されるかどうか、喜んでもらえるかどうかなのだと納得し、それ以来「私の第一評価者はお客さま」が信念になりました。お客さまから花マルをいただくことが私の喜びになり、それが会社への事業貢献になる。そう確信してからは、結婚しても長男が生まれても、大変だから辞めたいと思ったことはありません。