「この環境でキャリアを積める?子育てできる?」――故郷にひかれる気持ちが

 水野千夏さんは、1988年秋田県大仙市生まれ。神奈川県の大学を卒業後、東京都内の化粧品会社でビューティースタイリストとして1年間働くうちに、悩みが生まれました。「渋谷の百貨店で化粧品を販売していたのですが、エリアマネージャは全員、店舗に立ったこともない男性。そういう環境の中にいて、女性としての自分のキャリアの積み方がわからなくなってしまったのです」(水野さん)。

 さらに、将来、結婚したら、子育てと仕事を両立させたいと考え、働く時間を自分自身でコントロールするために、起業を思い立ちました。同時に、「故郷でのびのびと子育てをしたい」という気持ちも芽生えたと言います。

 そこで会社を退職し、2012年に故郷にUターン。秋田の企業に転職して新規事業企画・運営などを行いつつ、起業するためのコンテンツを探して回りました。

 その中で、水野さんは故郷の長所と短所を再発見します。短所は人が少ない点。県庁所在地の秋田市の駅前にも若い人たちがいない。この実態を見て、故郷を賑わいのある活気のある街にしたいという夢を持ちました。

 一方、長所は伝統文化が豊かな点。特に無形文化財の登録数が47都道府県中1番多く、地元に根付いた伝統文化の豊かさを肌で感じたとのこと。「地元の伝統文化の素晴らしさを知り、自分に子供ができた時に、これらの伝統文化を伝えて、産まれた土地に誇りを持ってほしいと心から思いました」と水野さん。

 そして、伝統文化の継承を実現するために、水野さんは「あきた舞妓」というテーマで起業しました。

 かつて、秋田市の繁華街・川反(かわばた)には川反芸者と呼ばれた芸者がいて、お座敷を賑わせていたそうです。芸達者な川反芸者の美貌は、「秋田美人」という言葉が生まれるきっかけのひとつとも言われています。数年前に途絶えてしまったこの文化を復活させ、秋田の新しい観光資源「会える秋田美人」として誕生させたのが「あきた舞妓」です。

 「あきた舞妓」は、日本舞踊や茶道などの厳しい稽古で芸を磨き、その芸を各種イベントや宴会・宴席で披露したり、観光客と一緒に観光名所を巡るツアーや体験型観光を行っています。

 故郷の伝統文化を掘り起し、事業のコンテンツとして展開しようと頑張っている水野さん。そのきっかけとなったのは、東京でのキャリア形成に関する悩みでした。水野さんは、「あきた舞妓によって、秋田の様々な魅力を広く発信していきたい」と水野さんは語ります。

「起業創造塾 第4回あきた寺子屋」(2015年12月5日)での講演を基に構成