お風呂で数えた数字は外国語

 日本の高校を卒業してシアトルの大学に留学し、大学卒業後に香港でモデルとして活躍を始めたというのが、DEAN FUJIOKAのおおまかなプロフィール。彼に関する情報はまだ少なく、端正なルックスと活動名からか、インターネット上ではハーフという噂も流れている。が、本人は「祖父母も両親もれっきとした日本人ですよ」と笑う。そんな彼が世界を意識したのは、中学生の時だった。

 「父親がIT(情報技術)関係のハシリともいえる仕事に就いていて、頻繁に海外出張に行っていたんですよ。そのたびに買ってきてくれた海外のお土産で、特にアメリカのお土産に心をひかれました。なんだか、とてもきらびやかに映ったんですよね」

 ピアノの先生をしていた母親がいつも海外の音楽を聴いていたため、日本語以外の言葉にも早くからなじんでいた。

 「子ども時代に父親と風呂に入ると、湯船に肩までつからされ、『10数えたら上がっていいぞ』って、よくやるでしょう。自分の場合、英語や中国語で数えさせられたんですよね。気づかないところで、ほかの国の言語に対するヒントのようなものを与えられていたと思います」

停滞せず前に進みたい

 家庭内で世界への目を養われたDEAN FUJIOKAにとって、高校卒業後の進路にアメリカを選んだのは自然なことだった。当時の夢はアメリカで起業することだったという。

 「早くからインターネットをやっていた父の影響で、ITを身近に感じていました。シアトルの大学を選んだのは、ニルヴァーナやブルース・リー、ジミ・ヘンドリックスなど、単に自分の好きな人たちが活躍していた場所だったから」

 大学では、かなり真剣に勉強に取り組んでいたと振り返る。その時の青写真は、そのままアメリカで就職し、永住することだった。ところが在学中に転機が訪れる。

 「まだ9・11同時多発テロの影響が強く残っていたのか、ビザの切り替えが全然進まなかったんです。弁護士を頼むなどいろいろ方法もあったのですが、次第に、もういいやという気になっちゃって。こんなことで停滞しているより先に進んだほうが、世界が広がるかもしれないと思ったんですよね」

 そこで大学は卒業はしたものの、就職をせず旅に出ることを決める。向かった先はアジアだった。