「オレはさ、避難しろって言われたとき、こたつに隠れて家に残ったの。ウシはさ、毎日三度三度ご飯食べなきゃ死んじゃうんだよ。だから残ったの」
 「避難していちばん後悔してるのは、ウシのこと。可哀想なことしちゃったなって。うん、可哀想だったよ」

 川内村は、東京電力第一原子力発電所の事故後、郡山市に避難した村で、事故から一年後に、「帰れる人から帰ろう!」を合い言葉に村長が帰村宣言をした。

 その村の方の声を聞きに行ったときに、牛を飼っている方たちが口を揃えて、「ウシ」のことを話してくれたのだ。

 このCMの作り手たちは、牛を育てる人たちの気持ちを少しでも考えたことがあっただろうか? 牛たちを大切に思う気持ち、慈しむ気持ち、自分を危険にさらしながらでも牛を守ろうとする人たちの気持ちを、ほんのちょっとでも想像したことがあるだろうか?

 そうなのだ。このCMには、そこにいる“人”に寄り添う気持ちがない。うん、微塵もない。それが、最大かつ唯一の“問題”なのだ。

 他人からは見えない“心”。それに寄り添う気持ちを忘れたとき、大切なことが置き去りにされ、見えなくなり、勝手な“イメージ”だけに左右される。
 外見、言動、など目に見えるものだけで判断し、ときには、その人の価値まで決めつけてしまうのだ。

 華のある少女は、動物園で人気者になる? 
 乱暴な不良は、闘牛場で血を流すまで戦えばいい?
 個性なき少年は、生きている意味がない?
 大きな胸の女性は、胸を褒められて喜ぶ?

 これらはすべて、根拠なきイメージでしかない。

 人種差別、男女差別、学歴差別、セクハラ、パワハラ etc., etc.

 すべて、イメージという魔物が引き起こしているのである。

 「女だから」「高卒だから」「子持ちだから」「シングルだから」「バリキャリだから」「イクメンだから」……そんな単なるイメージから発せられる言葉や態度。それらが“刃”となり傷ついた経験を、誰もが一度くらいしているはずだ。