自分らしさは恋愛に活きるか?

■「恋愛モード」の弊害

 女性の恋バナやお悩みを聞いていると、Nさんのように、恋愛になると「恋愛モード」に切り替わり、パートナーや自分の中にある「女性像」「彼女像」に無理矢理自分の形を合わせにいっているように見えるケースにしばしば出合います。

 もちろん、恋人と友人の前とで「違う自分」になること自体は,ごく自然なことです。しかし、相手によって見せる「自分」を変えることと、自分を無理矢理「彼女像」や「女性像」に押し込めることは、似ているようで全く異なります。

 たいていの人は、親しい友人の前で「自分らしくあろう」とは考えないでしょう。明子と蕗子のように、不思議と気が合って、「ただ一緒にいて話しているのが楽しい」から一緒にいる……。友人の前だとそのような「自分」をごく自然に出せるのに、恋愛や結婚になると、途端に「彼女や妻は、かくあるべし」という“規範=型”が顔を出すのです。

 ただし、これは本人の気の持ちようだけでなく、女性が日常的にそのような圧力にさらされていることを考慮する必要があるでしょう。また、思春期から大人になるまでに大量に見聞きする、マンガやドラマ、小説の中の「恋愛ストーリー」の影響や、女性誌の特集でよく見られる「モテ女子」や「結婚できる女性」といった類型化の弊害も大きいと思いますが、ここでそれらを細かく分析することはしません。

 ひとつだけ確かなことは、友情でも恋愛でも、「自分らしさ」を守れるのは、自分しかいないということです。その相手といる時間が心から「楽しい」かどうかは、自分にしかわからないからです。

 「楽しいこと」や「気が合うこと」の価値は、特に恋愛では地味過ぎてあまり注目されることがありませんが、他のどんな条件よりも大切なことではないかと、私は思っています。

■“大人のための石井桃子ワールド”のススメ

 最後にもう一つだけ、石井桃子さんの言葉を引用したいと思います。これは石井さんの没後に編まれたエッセイシリーズの一篇からの引用で、1907年生まれである石井さんの世代の女性にとって、「じぶんの友だち」との関係を維持することが、どれだけ当たり前のことではなったかを、率直に語っています。

〈こんなふうにして、たいてい、いままでの女の人たちは、じぶんの友だちというものをなくしてしまったらしい。しょっちゅう会って話しあう、女の友だちらしいものといえば、じぶんの女きょうだいであったり、おとなりのおくさんであったり、だんなさんのきょうだいであったり、だんなさんの友だちのおくさんであったり。つまり、これは、友情だけの問題でなく、女のひとには、じぶんがなかったということなのだろう。なんて、もったいないことだと、私は思ってしまう。〉
(『みがけば光る』p.125より)

『みがけば光る』
(著=石井桃子/河出書房新社)

 『幻の朱い実』の明子と蕗子の「楽しい」時間のなかには、WOL女性世代のみなさんの「じぶん」にきっと響くものがあるのではないかと思い、今年の連載を締めくくるべく紹介させていただきました。

 また、今回ご紹介した石井桃子さん関連のその他の書籍は、どれもオススメの本ばかりです。記憶には個人差があると思いますが、子どもの頃に絵本や児童書で石井さんの言葉に親しんだ方は多いはずです。この年末年始に、今度は「大人のための石井桃子ワールド」にどっぷり浸かってみてはいかがでしょうか。