なぜこの本が恋愛に関係あるのか?

■“ただ一緒にいて話していることが楽しい”関係

 明子にとって2人の関係は、「何にもまして、守ってゆかなければならないもの」です。石井桃子さん自身は、尾崎真理子さんによる傑作評伝『ひみつの王国 評伝 石井桃子』に収められているインタビューの中で、この「友人関係」について次のように語っています。

〈なんかね、打てば響くように何か言ってくれる人で、ちょっと何か言うと分かり合えちゃう。だから、ただ一緒にいて話していることが楽しいんです。それも重大事を話すんじゃなくて、ただもう、日常茶飯事を話してる。それが毎日できるのが生きがいがある生活だと。そういうことをこちらの心に沸き起こさせるような人だった。『楽しい』ってことなんです、蕗子が教えてくれたのは。〉
(『ひみつの王国 評伝 石井桃子』,p.133より)

 おそらく、「ただ一緒にいて話している」そのとき、2人は友人という社会的な関係性や、女同士という性別すら越えて、「どこまでいっても蕗子は蕗子、明子は明子」でしかない存在として、そこにいるのだと思います。

 その人の前でなら、自分が自分でいられること……このような「自分らしさ」への強い想いは、本書を貫くひとつのテーマになっています。女性が「自分らしさ」を主張することが今とは比べられないほど困難だった戦前の激動期を、悩みながらも毅然と生きる1人の女性としての明子の姿には、胸が打たれるものがあります。

『ひみつの王国 評伝 石井桃子』
(著=尾崎真理子/新潮社)
■恋愛における「自分らしさ」

 この連載のテーマである恋愛においても、「自分が自分でいられること」は大切です。そう思ったのは、本書を読んでいて、我々が行っている「失恋ホスト」に恋愛相談に来た2人の女性のことが頭に浮かんだからです。

 失恋ホストには、時々、友人同士で連れ立って相談にくる方がいます。20代中頃のNさんとTさんもそんな2人で、相談は主に、Nさんの最近の失恋についてでした。

 Nさんは、「エリートでプライドが高く、自分の話しかしない」彼と1年ほど付き合って振られてしまったのですが、そのことに納得できていないようで、自分がいかに彼のために「尽くした」のかを、彼のモノマネもまじえながら臨場感たっぷりに語りました。その話しぶりがあまりに面白かったので、我々は次のような疑問を彼女に投げかけました。

「Nさんの話はとても楽しいし、語り口そのものが表現豊かで魅力的だと思うんですが、彼の前でもそういう『自分』を出せていましたか?」

 すると、それまで難しい顔をして横で話を聞いていた友人のTさんが、顔をぱっと輝かせて、

「そうなんですよ!」

となかば叫ぶように言ったのでした。

 どうやら、Nさんの「魅力」が彼に全然伝わっていないことについて、親友であるTさんは残念に思っていたようです。だから、第三者の男性である我々に彼女の魅力の一端が伝わり、共感を得られたことが嬉しかったのでしょう。

■窮屈な“彼女像”

 彼と付き合っている間もNさんとTさんは頻繁に会っていて、その度に、Nさんは自分が彼の前で演じる「尽くす女」ぶりを面白おかしく話していたそうです。そんな2人の関係性を私は好ましく思ったのですが、同時に、Nさんが彼の前で、Tさんといるときのような活き活きとした「自分」を出せなかったことの不自由さについても考えざるをえませんでした。

 Nさんは、エリートで保守的な彼の求める“彼女像”の鋳型に、自分を押し込んでいたのだと思います。たぶん、彼の前で演じる「尽くす女」が、Nさん自身にとっても他人のように距離があったので、彼との関係性を最後まで自分の中にうまく位置づけることができなかったのだと思います。だから結果的に、別れた後も腑に落ちなかったのではないでしょうか。

 失恋ホストで改めて彼との付き合いを振り返った後で、「彼のことは、なんかもうどうでもよくなってしまいました……」とNさんは話していました。