野枝にとっての結婚

■お見合い結婚も恋愛結婚も否定していた

 結婚はどうでしょうか。現代では多くの場合、恋愛の延長に結婚があります。

 しかし野枝が生きた当時は、結婚は家や親のためにするものでした。野枝も女学校を出てすぐ、親族によって強引に縁談を進められます。ただ、野枝はこの結婚があまりに嫌すぎてすぐに別の男性のところへ逃げ出しています。

 後に彼とは籍も入れて子どももできたのですが、数年でアナーキストの大杉栄のもとに出奔。大杉の妻と愛人と、泥沼の四角関係を繰り広げます。

 その破天荒な遍歴のなかで熟成された野枝の恋愛観で独特なのは、最終的に、お見合い結婚だけでなく恋愛結婚すらも否定していることです。自由恋愛の末に自らの意思で決めた結婚であったとしても、それは生き方を固定化する“約束”にほかならないからです。

愛を誓い、家庭をつくる。それが人間らしさのあかしであるかのようにみなされて。妻として夫をささえ、子どもをそだてる。みんなそうしてほめられて、しだいにそうしないとゆるされなくなってくる。女だから、妻だから、ああしなきゃいけない、こうしなきゃいけないと。どんなに嫌でもつらくても、たえることが人間らしだと思いこんで。でも、野枝はそんな約束、はなからまもろうとしなかった。
(本書p.134より)

■「わがまま」を貫くこと

 野枝の生き方の特徴を一言でまとめると「わがまま」だと著者は書いています。「学ぶことに、恋に、性に、生きることすべてにわがままであった」と。

 野枝は社会の決めごとや他人との約束よりも、その時に自分がやりたいことを最優先させます。「好きな人と好きなようにセックスをして、好きなようにくらす」――彼女はどこまでも自分の欲望に忠実でした。

 もちろん、誰もが野枝のように生きられるわけではないですし、その必要があるとも思いません。また、「不倫上等」という欲望全開の恋愛に対して抵抗感を持つ方もいるでしょう。実際のところ、万人に勧められる恋愛ではありません。しかし、彼女のこのような欲望に対する向き合い方に触れることこそが、現代において恋愛するうえで“めっちゃ役に立つ”と私が感じていることなのです。

 ここからは、我々桃山商事に寄せられる恋愛相談の例も見ながら、恋愛と欲望の関係について考えていきます。