ネタ作りの経験がないままピン芸人に

 小島さんは早稲田大学在学中、お笑いサークルに所属していました。そのサークルから派生して、5人組のお笑いユニットが誕生。小島さんもその一員でした。5人はコントグループ「WAGE」として事務所にも所属して、プロデビューを果たしました。しかし、メンバーの方向性の違いから2006年にWAGEは解散してしまいました。ここで小島さんは窮地に追い込まれたのです。

 なぜなら、メンバーの中でも、ネタ作りを担当していたのは小島さん以外の人だったからです。小島さんは、自分でネタをまともに作った経験もないまま、一人で放り出されてしまいました。

 それでも、お笑いが好きだった彼はピン芸人として再起を決意。そして、自分の武器は何なのかということを必死で考え抜いて、「そんなの関係ねえ」のネタを生み出したのです。文字通り、「細かいことは気にせずに勢いだけで突き進んでいくぞ!」という、新たな一歩を踏み出した小島さんの決意が感じられる見事な作品でした。

 そんな純粋な思いが世間の人たちの心を動かしたのでしょう。2007年にこのネタで小島さんは一躍ブレーク。年末には『ユーキャン新語・流行語大賞』のトップテンにも選ばれました。