プレッシャーがあった「あだ名」期
有吉さんの成功のカギは、約10年前に「再ブレーク」という形で出てきてから、少しずつキャラを調整して、今の形をつくり上げたことではないでしょうか。
再ブレークのきっかけとなったのは「アメトーーク!」に出たことでしょう。
有吉さんはもともと、猿岩石というコンビ時代に「進め! 電波少年」のユーラシア大陸横断ヒッチハイクという企画で有名になりました。
しかし、コンビの人気は長くは続かず、その後は不遇の時代を過ごしていました。
「アメトーーク!」で久しぶりにバラエティー番組に出ることになった彼は、長年ため込んでいた鬱屈した気持ちをぶつけるかのように、どぎつい毒舌芸を披露し始めたのです。
自分より売れているタレントに対する嫉妬心をみなぎらせて、彼らに「あだ名」を付けていったのです。
品川庄司の品川祐さんに付けた「おしゃべりクソ野郎」というあだ名は、的を射ている上に痛快だったため、現在まで語り継がれる伝説となっています。
番組内ではこのときのことは「おしゃクソ事変」と呼ばれています。
有吉さんはこれをきっかけに他の番組からも声がかかるようになり、あちこちで「あだ名芸」を求められました。
これは、有吉さんにとってはかなりプレッシャーのかかる状態だったのではないかと思います。