失敗を受け入れること=自分を受け入れること

 私たちの多くは、失敗をできるだけ避けようとします。しかし、失敗を受け入れてこそ初めて気づきや成長があるのです。あのどうも不安で居心地の悪い場所に自分の身を置くことで自分が揺さぶられ、それが新しい体験、気づき、成長につながっていくのです。失敗の渦中にいるときは、状況をコントロールできなくていいのです。むしろ失敗の大波に身を任せ、それをなんとかくぐりぬける体験自体が大事なのです。下手でもいいのです。自分よりうまくやっている人は万といるかもしれませんが、それよりも重要なのはそれを「自分が」体験しているということなのです。私たちは体験を伴わなければ何も学ぶことができません。

 ニューヨークに拠点を置くデザイナーのJames Victore(ジェイムズ・ヴィクトーレ)は「Feck Perfuction(完璧なんかくそくらえ)」という概念を提唱しています(*)。彼が指摘する通り、完璧主義は成長の大きな敵でもあります。

[引用]完璧というのは一種の幻想だ。この考えには何一ついいことがない。完璧主義は『欠点をなんとか隠そうとする一種コントロールである』という考え方もある。完璧の追求はプロジェクトを始めようという時に私たちを立ち止まらせ、自分の仕事に満足することや、それを終わらせることを妨げる。とにかく自分のベストを尽くし、それが完璧かどうかは気にしない方がいい。なぜなら完璧であることよりも、何かを終わらせることの方はるかに大事だからだ。

 私はなにも、根性論を唱えているわけではありません。「とにかく失敗してこい」という上司の助言も悪くないかもしれませんが、やたらめったら自分を不確かな状況に置いたところで、自分がその状況を受け入れられなければ、それはただの辛い体験で終わってしまいます。失敗を受け入れることは、すなわち自分を受け入れることでもあると思うのです。それは、できない自分を笑ってあげるくらいの自分への信頼と余裕が必要なのです。「失敗」は思っているより大したことではありません。むしろそれはごく当たり前のことです。しかし、これは肩肘張った完璧主義者のままでは気づけないことなのです。

 失敗やできない自分に向き合うのが苦手と言う人は、まずは「安全な領域」でいろいろな実験をしてみましょう。下手だと分かっていても何かに挑戦してみましょう。そして下手な自分を目の当たりにした感覚や体験に慣れてみましょう。居心地が悪いかもしれませんが、意外と大丈夫なものなのです。普段は言わない自分の率直な意見を自信なさげでもいいので、とにかく言ってみましょう。そのちょっとした勇気が自信と成長のきっかけを作ってくれます。「全然できない」と不満を漏らす代わりに、できないなりに頑張った自分を認めてあげてください。そういったことが失敗を受け入れる姿勢を強化してくれます。

 ライフコーチのMarie Forleoは次のように述べています(*)

[引用]私たち持っているもっとも大きな幻想の一つは、成功するためには自信がなければいけないというものです。これはまったくのウソ。常にリスクを取り、アイデアを発表し、何かを生み出しているクリエイターは常に恐れや自分の能力に不安を感じています。私自信も毎日のように恐れや自分の能力に不安を感じているのです。

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 私は今回の「失敗」に直面した時、自分にあることを宣言しました。「私は何か学ぶためにこの経験をしている」と自分に言い聞かせたのです。これができたのも、上述のBlakelyの話が頭にあったからです。

 この宣言をしただけで、私の失敗の体験はただの失敗ではなく、新しい気づきの契機となりました。

 あなたが失敗だと思っているものは、単なる成長や気づきのチャンスでしかないのです。辛い状況でも後10分、1時間、1日だけ頑張ってみましょう。その先にあなたにとって大事な学びがあるはずです。

文/相磯 展子

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