漫才師の美学とコンビの空気感を再現

 また、「火花」という作品がうまくいったのは、関西弁とも違う、漫才師特有のしゃべり方が再現できていることにも関係があると思います。第3話で、徳永が相方とネタのことで小競り合いをしているときの、「お前、書くんけ」の「け」の部分なども、これは漫才師の言い回しだと思えて、ドラマにぐっと入り込めました。それは、売れていないのに、万能感を醸し出している神谷のしゃべり方にも、感じることができました。

 漫才師になぜ特有のしゃべり方があるかというと、売れていない漫才師は、こうなろう、こうなろうと思っているうちに、知らず知らずに、憧れの先輩芸人のしゃべり方を受け継いで、それを独自で発展していくからだと思われます。そして売れていない時期というのは、そういう形に縛られていて、それを楽しんでいるようなところがあるものです。

 徳永と神谷が常にボケ合ってツッコミ合っているのは、それが美学の一つであるから。そんな芸人特有の美学に縛られている漫才師二人の悲哀を美しく描いたのが小説の「火花」なのですが、Netflixの「火花」では、徳永と神谷の間でしか分からない細かいボケとツッコミのしつこいくらいの応酬という、見ている側を置いていくような徳永と神谷の空気を再現しているだけでも素晴らしいと思います。それだけシンパシーし合う空気や情があると分かるからです。

 一方、「べっぴんさん」でも林さんは関西弁を使っていますが、こちらの大阪弁は、漫才師の徳永のときのようなクセはありません。もちろん、はっきりとした「演じ分け」で過剰な違いを見せているわけではないのですが、こういった作品ごとの演技の違いを見ることが個人的に今、一番楽しみなのは林さんなのかもしれないなと、この原稿を書きながら思いました。

文/西森路代 イラスト/川崎タカオ