傷ついた言葉のおかげで今があると思っていたけれど…

 個人的な話になりますが、傷付けられた言葉を引きずっていた例として分かりやすいため私の例を挙げましょう。

 実は私は、今でも「気が利かない」という言葉を聞くとちくりと心が痛みます。「なんであなたは気が利かないの?」が、小さい頃の親の口グセだったからです。「気が利く」ということがどういうことか分からないまま一方的に言われても、小さな私は何をどうしたらいいか分からなかったのです。

 でも親を責めるべきではないことも頭ではじゅうぶん分かっています。親自身、自然に「気が利く」ので、「気が利く」を言語化することは不可能だったから、「気が利かない」としか言いようがなかったのです。

 私は、「気が利く」コンプレックスは自力で克服できたと思っていました。なぜならば、「気が利かない」と言われていたおかげで、「気が利く」に代表される曖昧な言葉を、具体的にどう分解していくかという視点が生まれ、小さい頃から日々研究を続けてくることができたからです。それが今のコミュニケーション改善や仕事力向上を指南する仕事にもつながっています。ですから、気が利かないと言われたおかげで、今がある、と考えを変えることができていました。

 しかし、昨年第1子を出産してから「気が利く」の呪いがまた頭をもたげてきました。