夢がかなう人と、かなわない人の差とは?

 私は「勘違い夢語り」か、そうでないかの違いなのではと思います。

 「勘違い夢語り」とは、歯を食いしばって頑張っていれば、みんながきっと自分のことを応援してくれるに違いないと勘違いして、夢の応援を(本人はそういう自覚がなくとも)他人に強要する人のことです。

 どうしてもかなえたい夢があり、その衝動に突き動かされて動いている人は、その夢を思い浮かべるだけでも心臓がドキドキして、ワクワクが止まらなくなっています。そこまでは良いのですが、その情熱を周囲にぶつければ、きっとみんなが一緒にワクワクしてくれて応援してくれるはず、という思い込みから説明を省略してしまったり、おざなりにしてしまったりする人が多いのです。

●なぜあなたがその夢をかなえる必要があるのか?

●その夢を応援した人に、どんな良いことがあるのか?

●夢が実現した結果、世の中がどのように変わるのか?

 このような相手の疑問に答えられますか?

 情熱と勢いだけで夢が現実になるほど、世の中は甘くありません。夢は周囲の協力なしには達成できないからです。

 「勘違い夢語り」モードに入ってしまったら最後、「頑張っている自分をみんな応援してくれるはず」「頑張っている私を見て!」「どうして応援してくれないの?」という思い込みが強くなり、それが周囲からは押しつけと感じられ、敬遠されます。その結果、最初は協力してくれていた人さえも離れていってしまうのです。

 ちょっと厳しい現実を伝えましたが、実は私も昔「勘違い夢語り」をしてしまっていたので、勘違いしてしまう気持ちも良く分かります。

 私は新卒で外食企業に入社しました。当時私は料理研究家やフードコーディネーターとして独立することを夢見ていました。そこで私は会社の方向性、自分の置かれた環境などを無視して、「私は商品開発部に行きたい」という希望だけを、声高に主張していたのでした。その気持ちの裏には、「私は将来、料理研究家になるべき人間なのだから、会社はそれを応援してくれるに違いない」という思い上がった気持ちです。

 今思い出しても恥ずかしく、消え入りたくなる「黒歴史」です。「なんであなたの夢を私が応援すべきなの?」「私に何のメリットがあるの?」「あなたを応援することで、世の中はどのように変わるの?」という問いには全く答えず、権利ばかりを主張する、痛い人でした。

 幸い、「手が焼けるやつだな」とイライラしながらも本気で叱ってくれる上司がいたお陰で、徐々にその勘違いから脱することができましたが、あのままの人生を送っていたら、私は誰にも応援されず、ただ「頑張っている私を見て」と主張するだけの人間になっていたことでしょう。そう思うとゾッとします。