女性の働き方や生き方もそうだ。フィンランド人の友人が話す、専業主婦への否定的な価値観(「 ハーバードでのカルチャーショック 『専業主婦』に対する価値観」)には驚いた。

 結婚、出産、そして仕事への問題意識は共通点が多くある一方で、国が違うと根底にあるその社会の考え方が大きく異なることも少なくない。「男性を立てる」文化が、場所を変えると、「女性差別」と捉えられることもある。そんな中で、自分はどう考え、どうありたいのか。「自分にとっての正しい」答えは、変化し続ける社会によって構築されているため、この質問に答えるのは本当に難しい。

 そして、その答えを模索するためには、やはり多様な価値観に触れなければいけないと感じている。私はこの2年間、異なる考えを持つ人たちと話したことで、自分の育った環境が構築した社会観に気付き、本当に自分がどう考えているのか、もう一度見つめ直すきっかけができた。

国籍も宗教も業界も職種も多様なメンバーが集まり、意見を交わすハーバードの毎日
国籍も宗教も業界も職種も多様なメンバーが集まり、意見を交わすハーバードの毎日

「もし自分だったら」の置き換えでは、本当の理解はできない

 さらに、自分とは違った価値観を持つ人と交流することで、相手の立場になって考えることの難しさを改めて感じた。

 例えば、イスラム教徒へのヘイト・クライムの報道を知り、「もしかしたら被害者は自分だったかもしれない」と恐怖を感じてヒジャブ(イスラム教徒の女性が頭部を覆うスカーフ)をまとうかどうか迷っている友人を見ると、とても他人事とは思えなくなる。それでも、私は宗教をもととした差別を受けたことがない。彼らの気持ちを本当に理解できているのか、自分でも疑問に思うことがあった(「 ハーバードで注意喚起メール トランプ入国規制の行方」)。

 ある授業で教授が、「『私があの人の立場だったら、どうするか・どう感じるか』という思考では、自分の視点から抜け出せていない」と話していたことが印象的だ。

 その人の育った環境や置かれた立場はどういうもので、何が重要なのか。どういう価値観や考え方を持っているのか。なぜ、そういう考えを持つようになったのか。相手になりきって物事を考えないと、理解は進まないと教授は話していた。そして、本当に相手の立場になって考える第一歩は、やはり自分と違う人と触れ合い、人間関係を構築することなのだ。