世阿弥は「風姿花伝」に「すぐに過ぎてしまう若さの魅力、一時的な人気を実力と勘違いすると本物から遠ざかる」と書き残しています。「時分の花」を「まことの花」と錯覚する落とし穴にはまらないよう、ジャパネットたかた創業者の高田明さんは常に「昨日の自分を超えていく」ことを心掛けているといいます。
昨日の自分を超えていく──。遅咲きの私がずっと心に刻んできた言葉です。
初めは小さなカメラ店からスタートしました。最初はカメラ販売が中心で、その他に写真現像サービスや近隣のホテル宴会場での撮影を手掛けていました。
ラジオ通販を始めたのは42歳の時です。4年後、全国のラジオ局で商品が紹介できるようになったので、次にテレビ通販の世界に飛び込みました。当初、番組制作を外部の会社にお願いしていたものの、収録から放映まで2カ月ほどかかってしまう。そこで自前のスタジオをつくり、スタッフを育てることにしました。通信販売会社ジャパネットたかたはこうしてできたのです。
そのとき目の前にあった課題に真剣に取り組み、階段を一段、一段上がっていたら、気付けば多くのお客様に利用いただける会社になっていました。
これを言うとよく驚かれるのですが、ジャパネットの社長時代、将来の売上高の目標を設定したことがありませんでした。社員にはいつも「前年より少しでも上を目指そう」とだけ言っていました。
昨日より今日、今日より明日、少しでも自分を高めていこうと努力すれば、それだけでいつか自分がなりたいと思う自分になれるのではないでしょうか。
役者の輝きを花に例えた
散歩をしながら、スマートフォンのカメラで花の写真をたくさん撮っていた時期がありました。そういうタイプではなかったんですけどね。花は本当に美しい。つぼみが少しずつ膨らみ始め、やがてかれんに咲き誇り、季節が過ぎれば散っていく。まさに時がもたらす花の美しさです。
世阿弥は、役者の輝きを花に例えました。
「風姿花伝」では、役者の生涯を「幼年期」「少年前期」「少年後期」「青年期」「壮年前期」「壮年後期」「老年期」までの7段階に分け、それぞれの年代に応じた稽古や能役者としてのありようを示しています。
「青年期(24、25歳)」の項で、次のように説いています。この時期は声変わりも終わり、体格も一人前となる。そうした初々しさもあって、名人よりも高い評価を得ることがまれにあるといいます。
ただ、世阿弥はクギを刺します。
一時的な花を、まことの花であるかのように思い込むと、真実の花になる道から遠ざかる。にもかかわらず、誰も彼もが、この一時的な花を本物と混同してしまう、という意味です。
キーワードとなるのは「時分の花」「まことの花」です。
「時分」とは、適当な時機、好機を指します。人や動物の子どもがかわいらしかったり、若い男女がはつらつとしてまぶしく見えたりするのは、はた目にそう見えるから。
少年・青年期に脚光を浴び、ベテランの役者より高い評価を得ることになっても、それは若さによる一時的な花の珍しさで勝っているだけ。
一方、「まことの花」とは生まれ持った才能に加え、努力によって高められた能力のこと。まことの花なら時が去っても決してしおれることなく、より長く花を咲かせ続けることができます。