行定勲
1968年8月3日、熊本県出身。助監督として林海象監督や岩井俊二監督の作品に参加。1997年、「OPEN HOUSE」で長編劇場映画デビュー。2000年公開の「ひまわり」は第5回釜山国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。2001年の「GO」では第25回日本アカデミー賞最優秀監督賞をはじめ国内外の50の賞に輝く。2004年の「世界の中心で、愛をさけぶ」は観客動員620万人、興行収入85億円、同年実写映画1位の大ヒットを記録。2010年には「パレード」が第60回ベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。そのほか、主な監督映画に「北の零年」「春の雪」「クローズド・ノート」「遠くの空に消えた」「今度は愛妻家」「つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語」「円卓 こっこ、ひと夏のイマジン」「真夜中の五分前」などがある。携帯動画配信BeeTV「女たちは二度遊ぶ」や、WOWOW「平成猿蟹合戦図」で初の連続TVドラマの演出をするなど、メディアの幅を広げているほか、「ブエノスアイレス午前零時」「趣味の部屋」「タンゴ・冬の終わりに」などの舞台演出も手掛けている。
菅田将暉
1993年2月21日生まれ、大阪府出身。2009年、「仮面ライダーW」で俳優デビュー。2013年の主演映画「共喰い」が第66回ロカルノ国際映画祭コンペティション部門に正式出品され、同作で第37回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。2014年の「そこのみにて光輝く」では、高崎映画祭最優秀助演男優賞、日本映画批評家大賞助演男優賞など、国内の映画賞を数々受賞。そのほかの主な出演作に、TVドラマ「泣くな、はらちゃん」「35歳の高校生」「ごちそうさん」「死神くん」「二十歳と一匹」「問題のあるレストラン」「ちゃんぽん食べたか」「民王」、映画「王様とボク」「男子高校生の日常」「闇金ウシジマくん Part2」「海月姫」「チョコリエッタ」「暗殺教室」などがある。公開待機作に「星ガ丘ワンダーランド」「暗殺教室 卒業編」「二重生活」「ディストラクション・ベイビーズ」「セトウツミ」などがある。
スタイリスト:伊藤省吾
ヘアメイク:AZUMA@MONDO-artist(W)

――「ピンクとグレー」を拝見して、“ある仕掛け”にすごく驚きました。この驚きは「シックス・センス」以来です!

行定「『シックス・センス』以来なの!? ずいぶん前ですよね(笑)」

菅田「それ、大丈夫な驚きなんですかね(笑)」

――ただ、紹介するのがとても難しそうです。○○(ネタバレになるので伏せます)についても、書いちゃダメですよね?

行定「いや、書いてもいいんじゃないかな。うまくごまかせればだけど(笑)。良心に任せますよ」

菅田「そんなこと言われたら、書けなくなっちゃいますよね~」

――う~、うっかりバラしてしまうのが怖いので、やめておきます。映画の前半と後半では、菅田さんの雰囲気が全然違いますよね。って、この聞き方なら大丈夫ですよね!?

行定「わははは。そうだね、全然違うね」

菅田「前半と後半で、完全に2作品みたいな感覚で演じました」

――ストーリーの順番通りに撮ったのですか?

行定「いやもう、バラバラだったね」

菅田「2作品を行ったり来たりみたいな感じでしたよ(笑)」

――“仕掛け”も素晴らしかったですが、青春映画としてすごく引き付けられました。監督は、青春映画を撮られるのは久しぶりだと思うのですが、どんなお気持ちで撮影に臨まれたのでしょうか?

行定「『パレード』も青春映画と言えるかもしれないけど、登場人物の年齢がもう少し上だったからね。『GO』以来だと15年近く経つことになるな。あの時と比べて、当たり前だけど、僕も年を取ったと思いました。今回、撮っていてすごく楽しかった。深作欣二さんが生きている時に、『GO』をすごく面白かったと絶賛してくれて、『年取った俺が撮ると違ってしまうんだよ。もっと残酷になっちゃうね』と言われたんですよ。僕はまだ当時の深作さんよりも若いけど、『GO』の頃は主観でとらえていた青春を、今は客観視している。中島裕翔が演じた主人公をもっと滅多打ちにしたいとか、主観だったら優しくなれた気持ちが、今は違うんですよね。今回、菅田を手に入れたんで、菅田を使って主人公を引っかき回してやろうと(笑)。それはもう、すごく楽しかったです」

――引っかき回す役目を任された菅田さんは、撮影はいかがでしたか?

菅田「めちゃくちゃ楽しかったです! 幼なじみのヒロインが手を振りながら去っていくのを見送るとか、いわゆる分かりやすい“青春”を演じることも楽しかったですし、引っかき回すのも、思いついたことをいろいろやらせてもらえたので、本当に楽しかったです」

菅田さんが楽しんだというシーン。
菅田さんが楽しんだというシーン。

――お2人とも、楽しみながら撮影に臨まれたのですね。

行定「菅田は天才なんですよ」

菅田「(照れて)天才じゃないですよ~」

――菅田さん、監督から大絶賛ですね!

行定「天才の役者ってたくさんいるとは思うんだけど、菅田にはあえて『ちょっとここはこうした方がいいかな』と言ってみると、『そうですね』って、意外と素直な天才なんだよね(笑)。彼から生まれる衝動は、見ていてすごく面白い。放っておくと、フレームからいなくなったりするんだけど、そのままやらせておいた方が面白いんですよ。中島は、どちらかと言うとストイックで、すごく考えて撮影に臨むんですね。そんな時、菅田の衝動が中島から何かを引き出すんです。菅田がやり散らかして、中島がそれを受け止める。二人はお互いにリスペクトし合っているような感じがしましたね。菅田のアートのような演技を、中島は深刻に受け止めてから、自分を解放していくっていうのかな。すごくいいリレーになっていました」

――菅田さんと中島さんは、今回の撮影で親しくなられたのですか?

菅田「そうですね。僕は公私ともに仲良くなれる共演者の方って割と少ない方なんです。そんな中で、裕翔とは公私ともに一緒にいることのできる関係になりました。裕翔だから、遠慮せずに自由に演じられたと思います。台本を読んだ時に、行定さんは僕に、裕翔に刺激を与える役割を求めていると分かったので、『裕翔、ゴメン!』と思いながら、劇中、彼を殴ったりしました(笑)」

行定「こういう映画は、友情がなかったらダメだと思うんですよ。二人は、すごく早い段階で友情を育んでいました。プロフェッショナルであることをちゃんと意識しつつ、一見無茶苦茶なこともするんだけど、それが映像的に無茶苦茶にならないことも知っているんだよね。二人とも、若いのにポテンシャルが高いと思いました」

――中島さんは、本作が映画初出演でしたが、好印象ですね。

行定「彼にしかできない佇まいがあるんですよね。菅田もだけど、中島にも今後のイメージがわいてきますね。2人とも、期待できる若手俳優ですよ」

――監督は若い俳優さんの演出をされる際、彼らを育てるというか、こんな役者になってほしいというような気持ちを込めたりしますか?

行定「育てようということはないし、基本的に何も言わないですね。僕は、素直で根が真面目な人間が好きなんです。演技でやり散らかしても、役として最終的に全てを回収できる真面目さが大切だと思います。菅田のような役者には『やり散らかしていいよ』と言って、それをできる環境を作ってあげる。変な駆け引きをする演出家もいるだろうけど、僕はそんなの必要ないと思いますね。役者に対して威厳を保とうとするとか、そういうのは面倒くさい(笑)。とりあえず好きなように演じてもらって、若い役者たちを真剣にさせることができたら、それは自分にとってすごく楽しいことだと思う。役者も演出家も、本当に楽しかったと思えたら、それが映画に映し出されると思います。それを観客にも感じてもらいたいです」

――菅田さんは、素直で真面目な、監督が求める役者さんなのですね。何年かして、またご一緒した時、成長した姿を見るのが楽しみですか?

行定「もう、何年も待たずに、しょっちゅう一緒にやりたいね。俺の映画に毎回出てほしいくらいだよ」

菅田「次は何をやりますか!?」

行定「だって菅田、忙しいじゃん。俺、会う監督、会う監督みんなから『菅田将暉とやりましたよー』って言われるもん(笑)。何本やってんだよって! まあ、日本映画界で一番期待されている、一番欲されている俳優だからね。なかなか捕まえられないけど、何回でも一緒にやりたいですよ」

菅田「(ひたすら照れながら)初めて日本アカデミー賞に出席した時、パンフレットを読んだら、監督の『GO』が賞を総なめにしたことが書かれていて、すごいと思いました。主演の窪塚洋介さんは当時、今の僕と同じ年くらいだったと思いますが、ものすごいカリスマ性があって。それは作品に対しても同じで、すごい勢いが感じられました。だから、今回『ピンクとグレー』のお話が来た時、『行定さんだ!!』みたいな感じで飛びつきました(笑)」

―――相思相愛ですね(笑)。まだまだお話を聞きたいのですが、そろそろお時間のようなので……。では最後に「ピンクとグレー」のストーリーにちなんで、お二人に質問です。とても親しい友達が先に出世して、自分の手の届かない場所に行ってしまい、自分のことのように喜ぶ気持ち反面、嫉妬するという、そんな複雑な感情を抱いた経験はありますか?

行定「それはもう嫉妬しかないでしょ。喜ぶ余裕なんてない(笑)。それとは、ちょっと状況が違うかもしれないけど、年を取って妬ましい気持ちがあまりなくなってきたのか、一緒に仕事をしたカメラマンが撮影賞を取った時はすごく嬉しかったね。俺、泣いたんですよ。なんであいつのために俺が泣くんだってくらい。その経験は不思議なものでした」

菅田「僕の場合は小さい話になりますけど、高校時代に一緒に教師を目指していた親友がいて、二人で『教師になると定年まで自由がないだろうし、大卒3年までは新卒扱いらしいから、その間に世界一周しようぜ』と約束したんです。でも、僕はこの世界に入ったから、約束を果たせなかった。で、その親友は日本を飛び出して、今、カナダにいるんですよ。それはうれしくもあり、嫉妬心もあるかもしれないですね。でも、お互いに好きなことができているのは、うれしいと思っています」