過労入院後、仕事を辞めて、インドへ

 卒業後は、CM制作や映画配給を手掛ける東北新社に入りました。当時は糸井重里さんがコピーライターとして一世を風靡していて、グラフィックデザイナーとして活躍されていた横尾忠則さんがアーティスト宣言をしたり、広告の世界がものすごく注目を集めていて、憧れていたんですね。

 でも入社してみたら、映画の買い付け、セールスをする部署に配属されて、ホラー映画ばかり見なきゃいけなくなった。もう、えぐいんです。

 そもそも暗い所にじっとしているのが嫌で、学生時代には映画には全く興味なし。ホラー映画はもっと嫌いでした。それなのに、見るときは1日に何本も見て、結局在社中に1000本近く見たかな。ノイローゼになりましたよ。それで、心も体も壊した。

 会社勤めも合っていなかったんです。毎日決まった時間に会社に行って、決まった人たちと机を並べて仕事をする。これを続けるのはムリだと思いました。結局過労で入院したことが契機となって、仕事を辞めました。

「毎日決まった時間に会社に行って、決まった人たちと机を並べて…というのがムリでした」
「毎日決まった時間に会社に行って、決まった人たちと机を並べて…というのがムリでした」

 で、退社して3日後にインドに旅立ったんです。

 インドに行ったのは、学生時代ヨガを習っていたのが一つのきっかけです。

 大学生の頃のことは思い出したいことなんて何もない、ってぐらいなんですが、一ついいことをしていた。ヨガの教室に通っていたんです。誘ってくれたのは大学の友達。心臓と肝臓と腸と脾臓(ひぞう)が悪くて、お医者さんがさじを投げているような人で。彼から、ヨガをしてからすごく調子が良くなったと聞いて、一緒に教室に行ったんです。ちまたではエアロビクス全盛の時代だったんですけど(笑)。

 おしゃれな今のヨガ教室とは違って、そこに来ている人たちは、難病を抱える人とか体が悪いお年寄りばかりで。そういう人たちにすごく丁寧に教えてくれる教室だったんですね。それで、はまりました。通っていたら、先生に「あなたはサリーが似合いそうだから、インドに行けばいいのに」なんて言われてうのみにしちゃって(笑)。

 実は、ずっとインドには興味があったんです。インドからロンドンまで陸路を旅する沢木耕太郎さんの「深夜特急」(新潮社)とか。写真家で作家の藤原新也さんの旅行記「印度放浪」(朝日新聞出版)とか、あと小田実さんの世界紀行「何でも見てやろう」(講談社)とか。読んで自分もそんな放浪の旅をしてみたいと思うようになった。で、インドに行ってみようと。

 会社を辞める前から渡航の計画は立てていました。東京で借りていたアパートを引き払って、家具も全部売って。帰る場所をなくして旅立ちました。もう、きれいさっぱり、リュックサック一つ持って日本から飛び立ったんです。

 別段、目的を持って日本を離れたわけじゃありません。全然、ただの観光客。それでまずは片道切符でタイのバンコクに行った。バンコクですごく安く航空券を買えると聞いたからです。そこで世界一周の航空券を買って、北東インドのカルカッタ(現コルカタ)に行きました。それからインドの中をいろいろ回って、最後に首都ニューデリーからロンドン、ニューヨークへと渡り、東京に帰ってくるはずだった。世界一周のチケットが10万円もしませんでした。

 インドは当初、3週間ぐらいいるつもりだったんですが、気が付いたら、4カ月たっていました。あまりにも日本と価値観が違って、今まで持ち続けてきた自分の「物差し」があの国ではすべて通用しなかった。最初はそれが頭にきて「嫌な国だ」と思ったんだけど、慣れていくうちに、逆に面白くなって、気が付いたらすごく長い滞在になっていたんです。