今回の主役は、本サイトで「ハーバード流ワークライフバランス」「NPOで働く女性の世界」などを書いている大倉瑶子さん。その華やかな経歴には思わずうなってしまう。テレビの報道記者を辞め、米ハーバード大学院へ。マサチューセッツ工科大学に勤め、現在は防災プロジェクトを指揮するNPOのミャンマー事務所の代表だ。しかもまだ30歳前。こんなエリート、自分と違い過ぎる? いやいやとんでもない。やりたい仕事をするために、自分と向き合い高めていこうとする姿勢は地道で、華やかさとはかけ離れていた。自分にもできるかも……そんな勇気をもらえそうな、彼女の働き方をのぞいてみよう。

第1回 大好きな仕事を辞めて、大学院に進学 決意の理由は
第2回 会社を辞めて大学院へ その後の勤め先でぶつかった壁 9月20日公開予定
第3回 ハーバードを卒業しNPO就職 大事なのは「納得感」 9月27日公開予定

ミャンマーで防災プロジェクトを指揮する 大倉瑶子さん
22歳 テレビ局で報道記者・ディレクターとして働く
 東日本大震災の取材を通して、防災や災害復興に興味を持つ
26歳 アメリカのハーバード大学ケネディ・スクールに留学
28歳 ハーバード大学ケネディ・スクールで公共政策修士号を取得
 マサチューセッツ工科大学(MIT)のUrban Risk Labに勤務
29歳 ミャンマーの防災プロジェクトを指揮するNPO・SEEDS Asiaに勤務
30歳 米系大手国際NGO Mercy Corpsに洪水防災の事業・リサーチ統括として就任予定(インドネシア・ネパール・バングラデシュの3カ国を担当)

最初のキャリアは、テレビ朝日の報道ディレクター

 私が大学を出て最初に就いた職業は、テレビ朝日の夕方ニュース番組のディレクターでした。報道の仕事をしてみたいと思ったのは、大学時代のアメリカ留学がきっかけです。留学先の大学には世界各国から学生が来ていて、その中にはニュースで報道されている国や地域の人もいました。例えばテレビでイスラエルとパレスチナの問題が取り上げられている中、大学に行けばそのどちらの人もいて、話が聞けたため、報道で見聞きする紛争を人々の生活レベルの目線で知ることができました。国際情勢に、自然と興味が湧くような環境だったんです。私が留学していた2009年は、史上初のアフリカ系アメリカ人オバマ大統領が就任した年で、アメリカの人々の熱気を肌で感じ、その瞬間にしかない出来事を自分の目で見られる楽しさも知りました。現場を見て、生の声を聞き、それを自分の言葉で人に伝えるのって面白そうだなぁと思った私は、取りあえず受けてみようとテレビ局の就職試験を受けたんです。

 でも当時はまだ20代前半。国際的な仕事がしたいような気もするけれど、それができるようなステージにも達していないし、自分のやりたいこともはっきりと定まっていません。それなのに、一生続けるかもしれない仕事を選べと言われているようで、日本の就職活動には葛藤がありました。

 それでも、入社したテレビ朝日での仕事はとても楽しかったです。志望通り報道局に配属となり、上司にも恵まれ、1年目から企画を出したり取材に出たりする機会を与えてもらいました。そうして、報道番組のディレクターを3年間、農協改革やTPPの取材を1年間担当し、4年数カ月の間勤めたんです。

「生放送で中継することもありました。1分1秒を争う報道の環境に鍛えられ、物おじせず、落ち着いて対処する力が鍛えられました。最初の頃は、緊張で倒れそうでしたけどね(笑)」
「生放送で中継することもありました。1分1秒を争う報道の環境に鍛えられ、物おじせず、落ち着いて対処する力が鍛えられました。最初の頃は、緊張で倒れそうでしたけどね(笑)」