ボリウッド映画の拠点として知られる西インドの大都市ムンバイ。その町に、インド古典舞踊カタックダンスを極めようと修業している日本人女性がいる。Hiroko Sarahさんこと、福田浩子さんだ。彼女がインドへ移住したのは、なんと41歳の時。30代は両親の介護に追われ、それをやり切って第二の人生をスタートさせた。年齢になんてとらわれず好きなことを追い求めている彼女は、現在47歳。インドに骨をうずめると決めているヒロコさんに、その思いとムンバイでの日々を伺った。

第1回 趣味だったインドのダンス 40歳で現地のCM出演へ
第2回 30代は親の介護 41歳でインドへ移住したダンサー(この記事)
第3回 ダンサーと会社員を兼業 現在47歳、年齢の壁は(8月30日公開)

ヒロコ・サラさん年表
1970年 東京生まれ
20歳 外資系の会社に就職
30歳 デザイナーとしてのキャリアをスタート
35歳 両親の介護が始まる
40歳 ボリウッドダンスと出合う。インドのテレビCMに出演
41歳 両親が施設に入居し在宅介護は一段落、インド・ムンバイへ移住

30代から両親の介護をしていた

 私は、30代の頃からずっと自宅で両親の介護をしていました。親の介護をするには、比較的若い年齢だったと思います。私には年の離れた姉が二人いるのですが、一人は海外暮らしでしかも大病を患っており、もう一人も結婚して別の場所で暮らしていました。たまに会いには来られても日常的な介護は難しかったので、私が担うしかなかったんです。でも、決して犠牲になったとは思っていないんですよ。私は両親にとてもかわいがって育ててもらったので、その恩返しがしたかったんです。

 初めてインドを訪れたのが40歳。そこから41歳で移住するまで、私はインドへ通っていました。それは認知症の進んだ父を施設に完全に預けた頃で、母を施設のショートステイに託している間にインドへ行くんです。介護は、正直きついこともありました。いつまでこの状況が続くのか先が全く見えなくて……。でも、そんな不安も、「またインドへ行くぞ!」という気持ちが励みになって、「それまで頑張ろう!」と思えたんですね。

 病気の母を施設に預けて海外へ好きなことをしにいくなんて……と、当時は葛藤もありました。でも、今思えば、「それでいいんだよ」と自分に言ってあげたいです。だって、親がいちばんうれしいのは、子どもが幸せでいることでしょう。母の立場になって考えたら、「ヒロコには自由にしてほしい、縛ったりはしたくない」と思ってくれていたはずですし、実際母は私にそう言ってくれていました。両親は、仕事にしてもダンスにしても私の人生の選択をいつも尊重してくれました。

 その後、母親も施設に預け、両親共に施設に入居してから在宅介護が一段落しました。そのタイミングで、インドのムンバイへ移住したんです。しばらくして両親が亡くなった時、私には少しも悔いが残りませんでした。6年間、在宅介護をやり切り、インドへ移住してからも日本に一時帰国するたびに両親に会いに行って一緒の時間を過ごしていたからです。思い残すことなく、「お疲れさま。またね」とすっきり見送ることができました。そして、あのきつい日々を乗り切れたことで、自分に自信もついたんです。

「インドの生活で何があっても、あんなに大変だった介護をやり切れたんだからこれくらいたいしたことないと思えるんですよ」
「インドの生活で何があっても、あんなに大変だった介護をやり切れたんだからこれくらいたいしたことないと思えるんですよ」

「この年齢ではこうあるべき」とは考えない

 2012年10月、ついに大好きなムンバイへ移住し、継続的なダンス修業を始めました。年齢は41歳。40歳を過ぎてインドへ移住なんてと人には驚かれるのですが、私は年齢については特に意識していなかったんです。介護をしている間、自分が何歳かも考える余裕がなく、単に時間ができたので移住したというだけだったんですよ。思えば私は以前から、「この年齢ではこうあるべき」と考えることが全くありません。いくつになっても、自分のやりたいことができる状況であれば、やればいいと思うんですよね。

 こうして、晴れてインドでの本格的なダンス修業が始まりました。私が学んでいるインド古典舞踊のカタックダンスは、もともとヒンドゥー教の寺院で生まれ、語り部が神様の言葉や神話を伝えて回ったものとされています。ムガール帝国時代に宮廷音楽と一緒になり、王様の前で踊る宮廷舞踊となったのです。独特の太鼓タブラーとアコーディオンのような小さなオルガンであるハルモニウムという楽器に合わせて舞うのですが、肝は、足首にグングルーという真ちゅうの鈴を巻いて踏むステップ。片足に100~150個も鈴が付いて、両方で3㎏くらいあるんですよ! それでもリズミカルにステップを踏み、腕や指は優雅に動かしながら、ヒンドゥーの神話のストーリーなどを表現するんです。例えば、クリシュナというちょっとプレーボーイでステキな神様と、その恋人ラーダーとの恋物語。クリシュナがラーダーにいたずらをして、ラーダーは「やめて」と怒りながらも、お互いに好きだから最後は仲直りするといったストーリーを、感情豊かに表現するんです。

「クリシュナに会うためにオシャレをするラーダーは、こんな感じ。ムドラーといって手の動き一つ一つに意味があります」
「クリシュナに会うためにオシャレをするラーダーは、こんな感じ。ムドラーといって手の動き一つ一つに意味があります」

 レッスンはヒンディー語で行われます。広いインドにはさまざまな言語があり、英語が通じるところもありますが、ムンバイでローカルな生活をしているとヒンディー語は欠かせません。道端の八百屋さんで買い物をしたり、リクシャーという三輪タクシーに乗ったりするときなどは、店主やドライバーが英語が通じないことが多いのでコミュニケーションが取れないんですね。私は独学で覚えながら、個人レッスンも受けてヒンディー語を身に付けていきました。