自由に動きたい―組織は自分に向かないな

 ラオスは社会主義国で、のんびりした雰囲気とは裏腹に、当時は、外国人は勝手に町から15キロ圏外に出てはいけないというような状況でした。反体制側の難民キャンプで働いていた過去も、もちろん秘密。持っていった絵本も、「外国の文化を持ち込むとは何事か」と警察に没収され、受け入れ先のラオスの国立図書館に請け出してもらうというありさまでした。それでも私の興味は田舎へ向いていて、休日には、黙ってバスに乗って15キロ圏外へこっそり出掛けていましたけどね(笑)。

 ラオスでの主な仕事は、政府の関係者と共に村を回り、ラオス語の絵本を詰めた箱を配ること。私は、タイ語なまりのラオス語で読み聞かせもしていました。その頃、モン族の難民も故郷へ帰り始めていて、私は会いに行きたくてたまらなかったんです。でも、政情に加え、組織の仕事をしているため、個人での勝手な行動はできません。行きたいのに行けない。したいのにできないという日々が続くうちに、「組織は私には向かないな」と気付いたんです。それでラオスに来て2年目に、SVAをまた辞めてしまったんですよ。

「ラオスで、もっと自由に活動したかったんですね」
「ラオスで、もっと自由に活動したかったんですね」

 勤めを辞めた私は、通訳などをしながら、日本とラオスを行き来するようになりました。そうしてテレビ番組の取材のついでなどにモン族の村を訪ねていたのですが、そのうちに「ついでじゃなくて、モン族の村にどっぷり入ってみたい」と思ったんです。

 首都にあるラオス文化研究所という所の所長さんに「モン族の村で民話を集める活動をしたい」と相談すると、「ラオスは資金がないから、自分でお金を持ってきたら受けてあげるよ」と言います。日本の国際交流基金のフェローシップに応募すると、半年間の活動資金をもらえることになったので、そのお金で活動を始めたんです。

 それからは、研究所員のモン族の男性に同行してもらい、モン族の村をあちこち回りました。当時は村には電話もなく、事前連絡などできないので、村にはいつもいきなり訪ねます。昼間、大人たちは農作業に出ていて不在のため、お年寄りと子どもと一緒に待っていると、夕方村長が帰ってきて聞くわけです。「何しに来た?」「モン族の民話を聞きに来たんですけど」「はぁ?」そりゃあそうですよね(笑)。でもみんな民話が大好きなので、夜になると村人が集まってきて、語りが始まるんです。

 中でも最初に訪ねたのは、それはすてきな村でした。山に囲まれた村に、桃の花と梨の花とケシの花が一面に咲いていたんです。桃源郷とはこういう所か……と思いました。もうずっと前の話で、今はもうケシは栽培していません。