本当は心のどこかで「何かが違う」「やめたらきっと楽になるはずなのに」――。そう思いながら、今の場所に居続けてしまう(目の前の物事をやり続けてしまう)ってことありませんか? 時として、何かを始めることより、やめることのほうが難しい場合があります。それは、手放すことへの勇気と覚悟が必要だから。
 心に渦巻く葛藤と向き合いながら、恋愛、仕事、家庭、ダイエット……いろんなジャンルで「やめる」決断を下し、新しい幸せを手に入れた女性たちがいます。そのストーリーを全7回でお届け。第6回は、しつけの厳しい母の強要により、心に傷を負い、人生のさまざまな場面で「負のパターン」に陥ってきた香菜さん(39歳)が、母と距離を取ることで心を解放するまでの道のりをお伝えします。

香菜さん・39歳
<母と距離を取ったことで、仕事も家庭も好転!>
教育熱心でしつけの厳しい母から、何かにつけて強要されてきた香菜さんは、いつしか自分の本音が言えなくなり、周りに合わせるいい子に成長。大人になると、母から受けたと思われる傷やトラウマが所々で顔を出し、仕事で頑張り過ぎて疲弊したり、結婚・出産後は、我の強い娘との関係性に悩んだりするように。母の呪縛から、どうやって解放されたのか?

教育熱心で勝ち気な性格の母。期待に応えたくて頑張ってきた

――3人きょうだいの長女として産まれた香菜さん。母は幼稚園の先生で教育熱心、しかも勝ち気な性格で、「初めての子ども」である香菜さんを誰よりも立派に育てようと、小さい頃から厳しくしつけをしてきた。

香菜さん 7歳下の妹が産まれるまで「ひとりっ子」状態だったんですが、母に甘えた記憶が一切なく、いつも「ああしなさい! こうしなさい!」と指示命令をされてばかりでした。一方、父は温厚な性格で、子どもに何でも自由にやらせるタイプだったので、父と一緒にいるほうが断然くつろげましたね。唯一の心の逃げ場は父でした。

 妹が産まれてからも、母の私への厳しいしつけは変わらず、とにかく習い事をやらされました。バレエ、ピアノ、習字、塾と毎日放課後に何かしら用事が入っていて、分刻みのスケジュール。その上、スキマ時間に友達と外に遊びに行っていたので超多忙な小学生でした。

 母は習い事や他の物事についても、「これをやってみたらどう?」という提案型じゃなくて、「これをやりなさい!」という一方的な指示……。強く言われると言い返せませんでしたし、何より母の期待に応えたかったんです。今思えば、気が進まないことであっても無理に頑張っていましたね。

――ある時、香菜さんが大きく傷つく出来事があった。それは小学校6年の時のこと……。

香菜さん 塾に通い続けていたことで、だんだん勉強が分かるようになって、面白くなってきていたんです。もっと上を目指したいと思い、私立中学に進学しようと本気で受験勉強をしていたところ、突然母から「塾通いも中学受験もダメ! 今すぐやめてちょうだい!」と言われてしまいました。

 いきなり言い出したので、「はぁ? なんでよ!!」とぶちギレましたが、問いただしてみると、なんと3人目の子ども(末っ子の弟)を授かったとのこと。恐らく家計が厳しくなったんだと思うんですが、何の前置きも説明もなく、強制ストップされたのですごくショックで……。いわば、母の期待に応えるために塾通いを始め、勉強を好きになり、受験までしようとしていたのに、それを母はもういらないと言った。あまりに身勝手じゃないかと。

 弟が産まれたことは喜ばしいことでした。でも、私にとっては人生の計画を狂わされ、将来の道筋を断たれた気がして、母への恨みはどんどんたまっていきました。

<次のページからの内容>
●中高時代は母を黙らせたくて優等生に。心は楽しくなかった
●社会人になると、“負のパターン”が表面化
●母、私、娘…母子3世代の摩擦。この連鎖を断ち切りたい!
●母とキッパリと距離を置き、自分の人生を生きると決意した
●「私は私でいい」と思えるようになった