あなたのそれ「モテてる」の? 「モテさせられてる」の?

 合コンなるものに出掛けて、あるいは職場で、かわいいでも気が利くでも何でも戦略的に「ふり」をしたことのある人、心の中でそっと手を挙げてください。

 その意図は、何でしたか。場や特定の人物のニーズを「忖度(そんたく)」したのではありませんでしたか。何ならもっと攻撃的に「こういうのが好きなんでしょ?」なんて、心でため息をつきながらやっていませんでしたか。

 今年大反響を呼んだ、コラムニスト酒井順子さんの「男尊女子」(集英社)でとうとう指摘されてしまった「男を立てておけば面倒がない」という、私たちの深層心理。どうやら、多くの日本の女子にはそれがインストールされているようです。

 言語的にも慣習的にもすっかりたたき込まれ染み込んで、日本国内にいると「そういうものだよね」と疑問を持ちません。ですからそれは、海外から日本人女性を見たときによりクリアに見えてきます。より他者に献身的でNOを言わず協調的というコミュニケーション傾向を持ち、家事労働は多く睡眠時間は短く自己犠牲的で、でも結果として収入は低く社会的地位も低い。

 以前、ヨーロッパ人男性と結婚した、日本人の私の目から見ても「かわいい」と思うアジア人女性が教えてくれました。

 「私の夫、いまだに元カノたちのことを褒めるから頭にきちゃう。彼は日本人女性が大好きなのよ。『日本人女性は優しいし、肌もキレイで若く見えてかわいい』って」

 なるほど~、だいぶ偏った選好があるようですが、「日本人専」というやつですね。優しい、肌がキレイ、若く見える、かわいい。まあ現実はともあれ、そんな夢見る日本人女性観とは、私たち個人の「人格」や「才能」を1ミリも評価してるわけじゃないというのがミソです。

 でも、日本国内にいる私たちは、胸に手を当ててみて、確かにそれを「モテ」だと思っているフシはありませんか? より御しやすく、幼くあることが、対・男性であろうと女性であろうと社会であろうと、人の好意を買うための条件だと、どこかに刻み込まれていませんか?

 あなたの「モテ」は、誰のための「モテ」なのか? その「モテ」は、一見あなたのためになるもののように見えて、あなたを侵食していくものではありませんか?