「50になったとき、必要なのは女友達とサム・マネー」

 とある雑誌で、「女が50になったときに必要なのは、女友達とサム・マネー」と書いてあって、その通りだと思いました。それは、女、齢(よわい)50にして適度な自由を手に入れるために必要な条件なのだと、私も感じています。巨万の富じゃなくていいからサム・マネーを手にするスキルや能力と、助け合い寄り合える女友達。それはまた合流した女友達でもいい。そうでなく、新たに出会った女友達でも、もちろん歓迎。なぜそれが女友達であったほうがいいのか、実は私はまだそこに答えが出せていないのです。男友達でもいいんじゃないの? だってホラ、時代は共学社会だし。でもひょっとして……。

 女友達であったほうがいい、というのは、女がやがて少女に戻っていくからなのではないかと、ちょっと感じ始めています。周りの同世代が、宝塚にジャニーズ、韓流、少女漫画にダンスにランニングと、どんどん趣味の世界へ吸い込まれていくのですが、どの道に行くかは、その子がかつて中高生だった頃に何を好きだったかが反映されているようなのです。

 まさかと思ったカッコいい女子達がどんどん「14歳当時の自分が好きだったもの」や、そこから派生した活動・カルチャーへと戻っていくのを見て、女は色々経験して、回り回ってやがて少女へ、つまりオトコやオンナが関係なかった頃の「わたし個人」へ回帰して行くのだと思いました。女友達は、そんなカルチャーから人生の悲喜こもごもエピソードまで、色恋の感情や利害関係抜きでお互いに共有できる「同志」なのではないか。そろそろ40代半ばの私自身も、そんな引力を感じている今日この頃です。

文/河崎環 写真/PIXTA