大学卒業後30年ともなれば、50代前半。その頃になると、さすがの米国男性も女性も、もう「カップルとか、おなかいっぱいだし」と思う境地に至るのでしょうか。10代の頃からパーティー(卒業ダンスパーティーのプロムなどは代表格)に一人で参加するのは恥と考えるくらい大きなプレッシャーのあるアメリカのエリート層が、まさに本来の意味の「ソロ」でパーティーに出席するわけです。

 私はそのエピソードを読んで、「ああ、日本でも海外でも、男女がようやく『関係性の中に自分たちの価値を見いだす価値観』から自由になるってことなんだな」と思いました。

 関係性の中に自分の価値があると思う、とは、「結婚していることや付き合っていることに男/女としての価値を確かめる」「何かの場に所属させてもらっていることに人としての価値を感じる」という意味です。

一人にも集団にもなれるポジション

 本当の意味で自立した個人であるということは、自分の中で完結し、充足しているということなのかもしれません。その最たるものは、もしかして「ソロ・ウエディング」かも。「ソロ・ウエディング」は、「一度はウエディングドレスを着てみたい」という女性のためにドレス選びから写真撮影までをサポートするサービスですが、相手の存在がなきゃ成立しないはずだった「ウエディング」さえも一人で敢行するのですから、その自立度の高さ、満足度の追求ぶりたるや!

 ただ、私の周りにたくさんいる、ソロ活上手な女たちを見ていて思うのは、彼女たちはすごく社会的で、自分の居場所がたくさんあるということです。

 20代でも50代でも、ソロのときもあれば、複数で活動するときもある。大きな集団や組織の中で動くこともある。その時のテーマやTPOに応じて、実際のコミュニケーションでもSNSでも他者に働きかけ、誘いかけ、コミュ障どころか、むしろコミュ強。情報感度もすごく高いから、好奇心が旺盛で、アクティブです。

 一人にも集団にもなれる彼女たちは、やはり根本的な部分で自分に自信があると感じます。一人の時間は、まさに自分育ての時間。「ひとり」を極めるだけで、人生はもっと充実し、自信が生まれ、自立したオトナの女になれるのかもしれません。さて、私は次は、ソロ焼肉で、一人いぶされてみようかなぁ。

文/河崎環 写真/PIXTA