女の居場所が増えた、バンザイ!

 例えば今、女性の出張者の姿が当たり前のようにターミナル駅や空港にある風景は、きっと40年前には考えられなかったこと。それは出張に出掛けるような職種に女性の存在が少なく、そんな権限や役目を持つ女性、そんな場所に登用される女性が少なかったからです。

 だから当時の普通の女性が一人で「出現してもいい」「出現してもおかしくない」場所というのは、家庭の中やせいぜいがご近所、頑張って都会のデパートくらいなものだったのですよね。

 しかも、女性は早くに結婚するのが「当たり前」とされた時代には、成人女性は配偶者や子どもと一緒の「妻・母」であるべきと世間が信じているので、女性が一人でどこかにふらりと現れるのは、なおさら難しい状況にありました。まして飲み屋に一人で出掛けようものなら……!

 完全に「ワケあり」なんて意味不明で失礼千万な視線にさらされ、好奇心たっぷりの声が群がってくるわけです。一人で酒も飲めないなんて、不自由極まりない話です!

 女性の「社会進出」という言い方に、「『進出』って何ですか、もともと女は社会にフツーにいたんですけど?」と違和感を覚えることのできる現代の私たちですが、居場所を限定されていた時代の女性にとっては、自分たちが姿を現す(現しても大丈夫な)場所が広がっていくのはまさに「進出」と表現するのが最適だったのでしょう。そういう時代があったのです。

 だから、ソロ活オッケーの時代というのは、女性がやっと他人の視線や他人の評価から自由になったということなのです。「女はすぐ群れる」といわれた時代は、逆に女はみんな同じように群れていないと変わり者だと思われるような、そんな変な圧力が女性の外側からも内側からもあったような気がします。ホント、個性って何ソレおいしいの的な時代ですよね~。

 今20代前半の女子たちは、肩に力なんか1グラムも入らずに、ソロ「鳥貴族」、ソロ回転寿司、ソロカラオケに出掛けています。「特別なことをしてる意識はないんですけど?」「他人が何を思っても自由なように、私が何をして楽しんでいても、私の自由じゃない?」と、強がりでなくフツーに素直に思える女たちの時代に、万歳です。

「一人飲み中ですが、特別なことをしている意識、ありませんよ」 (C)PIXTA
「一人飲み中ですが、特別なことをしている意識、ありませんよ」 (C)PIXTA

カップル主義のアメリカでも「ソロ活」の流れ

 そういえば、先日読んだアメリカのオピニオン記事に異変を感じました。「ハーバード卒業30周年同窓会で、人生について学んだこと」と題されたその記事には、1988年に大学を卒業した筆者が同窓会の出席者たちの様子から感じたさまざまな人生の教訓がユーモラスに、時折じんわりと書かれていました。

 その中で、結婚について「30周年同窓会より以前に配偶者を得ていた人々のほとんど全員が、配偶者を連れてきていなかった」と記されていて、私には「あの頑固なカップル主義で、何かと公のパーティーには夫婦や彼氏彼女と出席するのが当たり前で、それがステータスだと思われているアメリカで!」と新鮮な驚きがありました。