それは「自分だけ浮きたくない」という心理であり、「浮くと目立って、減点されるのではないか」という恐怖なのでしょう。

 「就職内定をもらうという利害を前にして、目立つことは怖いこと。だから無難に徹して、『みんなと同じように進み』、でも『みんなからは頭一つ抜けて成功』したい」。学生から社会へ、新しい環境へと立ち向かう際に、そんな深層心理が働くのだと感じます。

30、40年前からほぼ変わらない集団教育で育つ「素直さ」って?

 学生が依然として周りをうかがってしまう習性や、制服に安心する心理はどこから来るのか。それは、学生たちが身を浸している教育現場が30、40年前からほぼ変わらない集団教育のままだからじゃないのかなと、ふと思いました。

 著名な教育経済学者が「いまだに子どもたちの教室が、30年以上前の私たちの時代とほぼ変わらぬ姿であること、40人ほどの机が一方向に黒板を向いてずらりと並んでいることに、なぜ社会は違和感を感じないのだろう」と、指摘するのを聞いたことがあります。

 集団教育がデフォルトで本当の個性教育が日本の義務教育に出現しない間は、周りをうかがわない子どもは育たないのではないか。パンテーンの広告に関する外国人記者のツイートの中に、「(結局)日本は、自分たちの言いなりになって従順な労働力を求めている企業が多いのでは?」との批判を見つけて、その「自分たちの言いなりになる、迎合的な」という意味のcompliantという言葉には「素直」という訳もあることに考えさせられました。

 学生は、素直で人の言うことを聞くのはいいことだと教えられてきた。でもそれは、集団を束ねて一方的に授業をしなければならない先生の都合が起源の「美徳」なのですよね。

「素直に前を向いて人の言うことを聞きなさい」――そう教えられてきました (C)PIXTA
「素直に前を向いて人の言うことを聞きなさい」――そう教えられてきました (C)PIXTA

 近年、「内向的」「失敗を怖がって挑戦しない」「満たされていて、野心がない」との若者批判がよく聞こえてきますが、でも本来自由で勝手気ままな子どもたちの羽をもいで従順にしたのは、批判している大人たちのほうです。従順な子ども、周りの顔色を気にする子ども、失敗を怖がる子どもは勝手に育ったのではなく、そういう日本の子どもを育てたのは、日本の大人たちなのです。

逆算式の人生設計は、賢いのか?

 就職活動に関連して、最近は「配活」(配属活動)にも入念な準備をして取り組んでいる学生もいるのだとか。その背景には、入社後のミスマッチを避けて、自分の希望通りのキャリアを築きたいという思いがあるようです。

 戦略的な「逆算式の人生設計」をして備えるのは、先行きへの不安があるから。そりゃあ、先行きが何一つ見えていないなんて怖いのはもちろんだと思いますし、無策無謀の丸腰は痛い思いをするんじゃないかと、大人の側からも老婆心が働きます。

 でも、人生が逆算できると思っているのは、どこか若さ故の傲慢かもしれないな、とも頭のどこかで感じるのです。かつて自分がまさにそういう学生だったから、なのですけれどね。人生なんて想定外のアクシデントだらけで、想定外にぶつかった時こそ人間は成長するというのは、想定外にすったもんだして乗り越えたからこそ思えるものです。

 パンテーンの広告キャンペーンは、すがすがしいコピーで締めくくられています。「さぁ、この髪で行こう(Hair we go)」。どの髪でもどの姿でも前に進める、戦える、居場所がある、そんな若者が自由に暴れられる社会でありたいですし、何よりも大人こそ「計算・逆算する人生」以上の人生を送らねばいけませんね。

◆パンテーン広告「#1000人の就活生のホンネ」

文/河崎環 写真/PIXTA