なんで、メディアやネットは納得したのか?

 この件で感じられたのは、メディアやネットは「オチ」できれいに納得するのだということ、いやむしろ「オチ」を求めているのではないか、ということです。

 まさに落語的な手法ですが、何か騒動を発端にあれこれの人間模様が繰り広げられ、最後に笑い(オチ)を含む「……というお話でございます」とのフレーズ(サゲ)を聞いて、オチに笑った聴衆は「ああ、これで話は終わりだ」と気持ち良く納得して帰っていくのです。

 つまり、円楽さんはあの一本の記者会見をまるで落語の高座のように変え、「騒動のエンタメパッケージ化」に大成功した。本人がそれを意図したにせよ無意識のうちにそうなったにせよ、これが落語家の技術なのだ、話術のみでその場の空気と人心を支配できる能力なのだ、と私は口をあんぐり開けて感心しきりでした。

 もちろんその反動として「そんなことで不倫の事実が消えたわけではない」「終始、女性蔑視の態度が改まっていない」とテレビ局へクレーム電話もかかってきたようではありますが、あの見事な「サゲ」に飲まれてしまいました。あの「後悔の真っ最中です……」とのサゲが小気味良いピリオドとしての役目を果たして、「はい、この話はこれでおしまい、これ以上ガタガタ言うのはやぼというもの」と視聴者が自然と思わせられたからです。

はい、これでこの話、おしまい (C) PIXTA
はい、これでこの話、おしまい (C) PIXTA

 この納得感とは、円楽さんのような短期決戦で生み出すのは大変な能力や運が必要だと思いますが、そうでなければ辛抱強く「話題の風化」という時間薬で生まれるものでもあります。

 「人の噂も75日」といいますが、例えば矢口真里さんも不倫の大騒動があったものの、謹慎復帰後はそれをキャラクターとして活躍しています。そのたびに細かくたたかれはするのですが、「あの人はああいう人」との認識が広がるにつれて、やがて「たたいても仕方ない」と、世間の攻撃性がそがれてきました。「安定の矢口クオリティー」などといわれるように、自分の言動を「安定の」と評されるようになったら、タレントとしてはむしろ成功ですよね。