少女漫画全盛期に登場した「ちびまる子ちゃん」ワールド

 「ちびまる子ちゃん」の連載が始まった1986年当時、少女漫画誌界は各出版社が団塊ジュニア少女層へ向けて打ち出す主力漫画誌によって群雄割拠の時代を迎えていました。集英社の「りぼん」と講談社の「なかよし」、小学館の「ちゃお」という女子小中学生向け3大誌に加え、少しお姉さんに向けた「花とゆめ」「LaLa」(白泉社)や「マーガレット」「ぶ~け」(集英社)、「別冊少女コミック」「プチフラワー」(小学館)、それらの別冊やデラックス版などの特別編集誌、その他その他……。

 毎月毎週毎日、たくさんの実力派少女漫画家先生による全力を注いだ作品が雑誌や単行本で本屋さんにあふれ、漫画好きの女子(私)は学校や塾の帰りに毎日大忙しでした。

 お小遣いをやりくりして次々と発行される漫画を追いかけ、漫画が発行され過ぎてテレビを見たり本を読む暇がないと悩むくらいでしたし(もっと他に悩むべきことがあったはずですが視界に入らない)、人生の最大の課題はいつも「この漫画を読んでから宿題をするか、それとも宿題を済ませてからこの漫画を開けるか」でした。辛抱できない私はたいてい前者を選ぶばかりで、だから宿題はいつも深夜にラジオを聞きながらテキトーにする羽目になっていた記憶があります。

 ちなみに、この時代の雑誌間競争の帰結として盛りだくさんの付録が挟まれビニールひもで十字にくくられた分厚い雑誌をさんざん買い慣れてしまったため、現代のアラフォー・アラサーの女性は付録のある雑誌のお得感を好んでしまうという、その時代に刷り込まれた習性を引きずっています。30歳、40歳を超えてもつい付録のあるファッション誌に手が伸び、いい大人なのに付録バッグやポーチを捨てられずこっそり使ってしまうのはもはや世代病といえるでしょう。

世の中はいいことばかりでも、いい子ばかりでもない

 そう、つまり私たちはそんな全然イケてない町でイケてない日常を過ごし、だからこそ少女漫画の中のイケてる登場人物たちのイケてる冒険や恋に胸を踊らせ夢を見ていた、「さえない僕ら」だったはずなんです。

 でも、顔の面積の半分が目できゃしゃでおしゃれなツヤツヤ巻き髪だったり、メガネのドジっ娘なのにメガネを外した瞬間に頭身まで伸びて超絶美少女設定という夢見るヒロインたちと、10頭身と不自然な髪形で一見ひょろひょろのくせに眉目秀麗スポーツ万能で海外育ちで性格までツンデレイケメンのヒーローたちが暮らすキラキラの少女漫画誌の中で、月刊誌ストーリー漫画なら王道の32ページものではなく16ページのギャグ漫画として始まった「ちびまる子ちゃん」は異色でした。

 70年代の静岡県清水市に暮らし、地元の小学校の3年4組に集うおにぎりやごぼうや玉ねぎみたいなギャグ顔の3頭身のキャラクターたちが、漫画のようにはいかず自分のさえなさを持て余しているさえない僕らに「そりゃあ人生なんてそういうもんだよ」、人を羨んでねじくれてしまう感情に「みんな同じだよ」、そして個々のちょっとヘンテコな部分を抱えるそれぞれの人々に「こういう人、家族やクラスにいるよね」と笑って声を掛けてくれたのが「ちびまる子ちゃん」でした。