日本人は、手の届かない感覚には文句を言わない

 私は高揚感を抑え切れず、声を上げてわが家の大学3年生の娘を召喚しました(部屋から呼びました)。「ちょっと、ちょっと、これ見て! ちょーオモシロいからっ!」

 「うわぁ」、大学でメディア芸術論を学ぶ娘は笑顔で言いました「オカモトさん、考えたねぇ」。どれだけ倫理的に必要で大事なことであろうとも、ど直球の「シモ」の話を扱う啓蒙目的の動画を、どうやっていやらしくなく、不快でなく、しかも最後まで見続けようと思わせるように作るか。どうやら、その解の一つがここにありました。

 そう、日本人にとっての異次元、海外もののフィクション仕立てで、しかも有無を言わさぬテンションにしてしまうのです。日本人にとっての身近な要素を取り去り、少しでも自分たちと同じ温度感や「ウエットな」質感を感じる余地を一切残さない設定にしてしまうことで、手の届かない、愚痴や文句の及ばない世界観を確立させてしまうのです。

 ムービーの中には、ちょいエロのくだりもあります。白人の美女クリスティーンが、少々不自然なくらいに豊満な胸を服の上から持ち上げてセクシーに見せつけるなど、「女性の描き方が一元的で男性視線」と文句を言おうと思えば十分に言える表現。でも、それが日本人女性にとっては「遠い」がために、そこに執着しない(できない)のです。

日本人女性が執着しない(できない)シチュエーション
日本人女性が執着しない(できない)シチュエーション

 あえて1ミリの共感も感じさせないということは、1ミリの不快感も生じさせないということ。もちろん、逆に外国人の視線で見れば「外国人の描き方が偏見に満ちて一元的」とも言えるのですが、なんかもうそんな気が起きないほど、パロディーとして「正しくバカバカしい」のです。人を怒らせない笑いって、さじ加減が本当に難しくて高度なんですが、オカモトのWEBムービー制作者の苦心に苦心を重ねた末の知恵が感じられました。

 おそらくこのムービーが想定している年齢層に当てはまるに違いない娘が言うには、「あの青い棒にコンドームを装着する表現処理は、高校の保健体育で見せられたビデオと一緒だったなー」。ううむ、色を青にし、形もつるんと丸くすることによってリアリティーを排除し、しかしコンドームの装着法をしっかりと具体的に教えるという目的は十分に果たす形状で、とな……。教育現場の皆さんも苦労されているんですねぇ。