「野田聖子」のパブリックイメージは誤解されていないか?

 実はその対談のお話を頂くまで、私は野田聖子という自民党の政治家に(大変失礼ながら)それほど積極的な興味を持ったことがありませんでした。メディアでちらっと見聞きしていたのは、誰かとけんかしたとか造反したとか対立したとか、議員同士で結婚した(実際には未入籍)とか別れたとか、それで専業主夫をしてくれる男性と再婚して、大変な不妊治療の末なんと50歳で出産したとか、極めて一面的な情報ばかりでした。

 これまた大変失礼ながら、私が持っていた印象は「無理むちゃをする人」「ちょっと自己中心的かも?」「女性政治家としてはどちらかというと粗雑」……。もちろん、そういう私自身こそ相当なむちゃをやらかし、ジコチューで粗雑なんですけれどね(笑)。

 ところが、仕事のために事前リサーチを始めると、それらは著しく間違ったイメージであるとショックすら受けました。彼女の今までの人生は、同世代の日本人女性の中では確かに非常に自立した、ハードな人生。しっかりした家庭でお嬢さん学校を卒業し、外国語にも堪能な一人娘の彼女がそもそも政界入りしたのは、彼女しかおじいさんの跡を継ぐ人がいなかったから。男子としての役割を期待された「島聖子」はおじいさんの養子となって「野田聖子」として政界入りし、腹を決めて自身の運命を背負ったのです。

 野田聖子さんは1960年生まれ。上智大学外国語学部を卒業後、帝国ホテルに入社します。1987年岐阜県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し、史上最年少で当選。32歳で衆議院議員総選挙に初当選し、1998年には、37歳で郵政大臣に抜てきされました。小泉内閣が進めた郵政民営化に反対して自民党を離党することもありましたが翌年に復党。福田、麻生内閣では内閣府特命担当大臣(科学技術政策・食品安全)、消費者行政推進担当大臣、宇宙開発担当大臣、安倍内閣では自民党総務会長などを務めた骨太キャリアの持ち主です。

 一方で、リサーチしながら見つけた、彼女自身の言葉で語られていた数々のエピソードは、想像を超えた「一人の働く女性の痛切なリアリティー」でした。

 鶴保庸介参議院議員(前沖縄・北方相)との事実婚や解消の理由、再婚(当初は事実婚)と長くつらい不妊治療や特別養子縁組の模索、そしてアメリカでの卵子提供を経て50歳にして出産と子宮摘出、重い障害を負った息子の育児など。それらはすべて男性視線のメディアでは「むちゃくちゃ」「わがまま」とさえ評されていましたが、全くそうではなかった。

 シリアスでシビアで、彼女が女性として真剣に「賭けた」夢であり希望であり、そして自分の人生に取った責任でした。

 そう、彼女自身が悩み、傷つき、じたんだを踏んで、最後は自分で責任を取り切っている「女子」だから、その姿に胸を打たれたのです。