ひとたび職場を離れれば、私たち女性は友人や家族との語らいの中で、あるいはドラマや映画のセリフの一つ、人物の表情、本や漫画の中の一行に心を動かされて、とても自然に泣きます。それは「ずるい」涙でも「だから女は」とバカにされるようなものでもありません。感動、うれしい、寂しい、悔しい、悲しい、怒り……心の動きが涙という形でとっさに溢れ姿をあらわす、極めて当たり前で豊かな感情表現です。

 なのになぜ、職場にだけは女の涙があってはいけないと思われているのでしょうか。

 それは、日本の「職場」という空間に存在を許されている感情の種類が、とある理由で非常に限定的だからなのです。

職場という空間に涙が許されない、哀しい理由

 女性が涙を流す姿を職場で見せてしまうと、男性の側から

 「女ってすぐビジネスの場で感情的になるよなー。泣かれたら、こっちが論理的に話してるのを無理やり崩されて、結局譲歩させられるじゃん? ひきょうだよなー女って」

 という解釈や感想がささやかれることがあります。

 そういう男性の感想を聞かされて育つうち、やがて女性の中でも同じ女性に対して「あの子って、すぐ涙で言い訳したり、自分の意思を通そうとするよね」との批判が生まれるようになりました。

 確かに、相手が男性でも女性でもことあるごとに泣きじゃくって、コトを鎮めようとしたり、相手に100%の非を押し付けたりする人、いわゆる「涙を武器にする」人も、中にはいます。ただ、同じ女性なら涙の種類は見れば分かる。まして流す自分自身こそよく分かっている。それこそ「ズルい」と言われてしかるべき打算的な武器としての涙などではない、自然な感情がとっさにもたらした涙までをも、私たちは「いけない涙」だと思って、職場で懸命に隠しているのです。

 不思議ですね、女性が、自分たちの涙をひとまとめにして「それはズルくてひきょうなものだから、見せちゃいけない」と信じるようになったのです。そして、そうやって悩むのは往々にして「打算的でズルい涙」など流さない女性ばかりです。

 その結果、「泣いてはいけないと思って泣くのを我慢し過ぎて、うまく泣けなくなった」「どういうときには泣いてもいいのか、分からなくなった」と戸惑いを告白する、優秀な女性がたくさん出現するようになりました。優秀ゆえ「男性の感想・価値観」にちゃんと適応した結果です。

 つまり、これまで男性によって構築されていた組織の中に女性が「進出」していた社会では、女性は男性化することで居場所をもらっていたのです。