「影のテーマは父親(男性)なのです」

 番組サイトに掲載された、臨床心理監修の信田さよ子さんによる「このドラマは一見母と娘の関係だけを書いているように見えますが、影のテーマは父親(男性)なのです」との言葉にも、ハッとさせられます。

「父と母の関係の崩壊、希薄化、対立が母娘関係の背景になっていることは間違いありません。多くの父親は、暴力をふるわない、ギャンブルや酒の問題もない、まじめに仕事さえしていれば合格点と思っています。その安心感のせいか、妻が何を考えているか、妻が孤独ではないか、といった人として当たり前の関心を失っていきます。関心を払われないということは、人として扱われていないことなのです」


(「NHK ドラマ 「お母さん、娘をやめていいですか?」スタッフブログ 2017年2月9日 「母娘ドラマへの誘い~出口はどこにあるのでしょうか~」信田さよ子さんからのメッセージより抜粋)

 この日本社会が昭和時代から連綿と「支配してしまう母」を生み出してきたメカニズムは、実は夫婦関係の崩壊と、その代償行為としての「いい母・いい子」関係にあった、とは多くの専門家が指摘してきたことです。

 思えば、日本の企業戦士家庭というモデルは、どれだけのものを私たちから奪ってきたのでしょう。

 長時間労働が常識あるいは美徳や正義とされ、1日の時間を、ひいては人生を丸ごと仕事に吸われてきた父親。家というものに従属させられ、そこで子どもを産み育て、社会に向けて閉じたドアの中でひたすら家族の世話に専従し、あれこれを思い悩んできた母親。そして、父親がほぼ不在で、母親との密な関係性の中、日々の一挙手一投足を管理され、趣味や感じ方さえもコントロールされ、その「支配」に気付くことさえなく育った「いい子」。

 父と母と子、その三者に共通しているものは「孤独」です。

 家族なのに孤独。でもそれが「家族だから孤独」なのだとしたら? そんな家族の在り方は、私たち人間に「与える」のではなく「奪い続ける」システムなのではありませんか。そして、「奪っている」のは一体誰なのでしょう?