オタクになりたい! のになれない…

 そんな彼女たちは、やがてそれぞれに趣味の世界にハマって、豊かに安らいでいきました。「自分が何者か」を知り、受け入れていったのだと思います。女の成熟に、趣味は不可分なのではないか。それがお花であれ、韓流ドラマであれアイドルであれ、(たまたま幸福にも? 趣味と一致するのなら)仕事であれ。私は、たとえ「中年のくせにモラトリアム」とそしられても、そうやって趣味を暮らしの中に据えて生きる、「オタク女子」を心の隅に飼ったオバサンに憧れているのです……が。

 一つ、大きな問題があります。私の目下(もっか)の悩みは、これから猛然と毅然とオバサン道をまい進しようと鼻息荒い今、何か強烈に自分を満たしてくれるサブカル的趣味を探しているのに、どれにも没頭できず浅い興味で終わってしまうことなのです。

 お笑いも落語も好きだけど通い詰めるほどではなく、美術・歌舞伎・ミュージカル・演劇も同様、バンドも洋邦まあまあ、ジャニーズ……もそんなに興味ないけど目の保養にはいいよね、ヅカ(宝塚)……も積極的じゃないけど誰かが連れて行ってくれるなら見に行ってもいいかな。野球?うーん、サッカー? TVで十分、フィギュア……はソチ五輪まで。ゲームはしない人生、漫画・小説も今は話題作をさらっとだけ。映画は好きだけど、ミニシアターを巡ったりはしないし、無名イケメン俳優を次々青田買いする目も情熱もない。お酒もグルメも旅も好きだけどほどほど、車も家電もデジタルガジェットもまあまあ便利でデザインがよければ満足しちゃって——。

これといった趣味が…ない (C)PIXTA
これといった趣味が…ない (C)PIXTA

 ああ、「一芸」とか「自己発信」が何より大事だと言われているこのSNS時代に、私はなんて集中力がなくてつまらない人間なんだ……。大人になってどうせちまちま浪費してばかりなのだから、何かにハマって貢いで「充実感を買う」心の準備ならバッチリ。なのに「コアなところまで深掘りしない/できない」。オタクになりたいのになれない、これは深刻。

退屈は人生の毒だ

 だからもう一度言いますが、そんな私自身は、たとえモラトリアムだのオタクだのと呼ばれてもそうやって趣味を暮らしのど真ん中に据えて生きる大人女子に憧れ、羨ましくて仕方がないのです。

 好きな事に一生懸命になって、そのことさえ考えていれば幸せで、それを燃料に浮世の小事など乗り越えていける。どんなに仕事が渋滞を起こし、人間関係が発酵していても、例えば残業の合間にアイドルなどの動画をこっそり見て、趣味用に複数持っている匿名の裏アカでファン同士やり取りする最新の情報を追っていると、ああ今日も一日充実していた、「生きている」と、ひしひし実感できる。

 他人から見たらどう映るにせよ、そういう充実した趣味生活を楽しんでいる人に、私は憧れます。だって、そういう人たちはきっと退屈しないから。退屈は毒です。大人になってもまだ他人と比べ合ったり、他人に干渉したりあれこれクドクドと愚痴って腐るのは、内面にぽっかりと空洞があって人生に退屈している人の症状です。退屈せず、加齢が成熟と同義となり、趣味の虎の穴により奥深く入って自己の内面を充実させていくオタク中年女子に、私はもはや尊敬の念を感じています。

 そんな矢先、精神科医の熊代亨さんによる『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)という本を読んで、私は小さく悲鳴を上げました。