江戸時代から奨励されている具だくさん味噌汁

 味噌汁を作るのに、だしを取らなきゃいけないというのも「神話」です。本当に、誰がそんなことを言い出したのか。少しの煮干しでだしを取っていた人が、隣の奥さんからカツオ節と昆布のだしがおいしいよね、カツオ節はあそこの店のものがおいしいよね、などと言われたりする。何のだしがいいかという話はそんなに重要でしょうか。

 煮干しだけでも立派なだしが出る。煮干しを入れたらカルシウムが取れるので、私はよく使いますよ。でも煮干しがなくたって野菜を煮るだけで、それでいろんなものから味が出てきます。

 そもそも、味噌には微生物が産生するうまみ、栄養、ミネラルがたくさん入っています。しょうゆをお湯に入れたからといって「しょうゆ汁」とは言いませんが、味噌はお湯で溶くだけで味噌汁になる。それは味噌そのものに意味があるということです。

 「医者に金を払うよりも、味噌屋に払え」という江戸時代のことわざがあります。徳川家康は、ぜいたくな食事よりも具だくさんの味噌汁を奨励しました。ぜいたくは月2回ぐらいでいい、そんな話をしています。家康はそれで75歳という長寿を全うした。

 ぜいたくも毎日していたら飽きます。飽きているから、次々と新しいレシピをあさったり、外国の新しい料理や流行を追ったりする。よくよく考えたら、それは楽しくないのではないかと思います。

 よく大阪人はケチだといいますが、日ごろつましくしているからこそ、ぜいたくを楽しむことを知っている。「贅(ぜい)」と「貧(ひん)」のバランスが生活にあるのです。お酒だって、昼から飲むより、ちょっと我慢して仕事が終わってから飲んだほうがおいしいように、日ごろつましくしているからこそ、ごちそうを食べるときに意味があるのです。

 毎日飽きない汁飯香を食べる。そうした、日ごろのつましい生活があるから、ある秋の日には、「サンマが出たからサンマを買って焼こう」と思う。おいしさを知っているから楽しみになるのだけれど、毎日サンマを食べたら飽きるでしょう。汁飯香の生活があるから、楽しみを自分の力で発見できるようになる。本当の楽しみが分かるようになるのです。

 一番基本になるものさえ知っていたら料理なんて習わなくていいし、覚えようとして大変だなんて思う心配さえありません。ご飯と味噌汁でいい。食べ物には、誰でも作れるものがあるということなのです。それは日本だけじゃなくて、世界中どの国でもあります。

 味噌汁の具は、なんだっていい。唐揚げを入れたっていいでしょう。私が今朝食べたのは、トウガンの味噌汁にカマンベールチーズを入れたものでした。すごくおいしいです。味噌汁は、自由自在に体が喜ぶものができるんです。

土井さんのある日の朝の味噌汁 なんとカマンベールチーズ入り
土井さんのある日の朝の味噌汁 なんとカマンベールチーズ入り

 多くの人は味噌汁に固定観念を持っています。ワカメだけとか豆腐がいいとか、ジャガイモとタマネギが好きだとか。みんな何かしら好みを持っているわけですが、それ以外にもいっぱいおいしいものがある。

 味噌汁だけでなく、料理は固定観念にとらわれがちです。ハンバーグを焼くとなったら、ニンジンのグラッセを作ってジャガイモを添えなきゃいけないとか考えるわけです。そうじゃなくて、野菜は味噌汁に入れておいて、ハンバーグはそれだけ焼けばいい。昔の人のほうがもっと自由に食べていたと思います。想像を働かせればいいのです。