彼の立場から見たビール

 インターネットで調べたところ、例えば東京ドームの生ビールの値段は800円です。単純にビールの値段ということだけで考えると、これは“高い”と言っていい値段でしょう。実際に彼はそのように感じているので、“同じビールなんだから、コンビニで買ってきゃいいじゃん”とか考えたわけです。ちなみにコンビニで缶ビールを買うと220円くらいなので、その差額は580円となります。

明子さんの立場から見たビール

 一方の明子さんは球場で生ビールに800円払うことに躊躇はありません。おそらく明子さんの中にも“高い”という感覚はどこかにあるのではないでしょうか。しかしそれを気にしないのは、相談文に「私は球場の屋台で食べ物を買うのが楽しみだった」とあるように、明子さんが“彼と一緒に球場でビールや食べ物を買って、飲み食いする”という体験自体を楽しみにしているからだと思われます。これは明子さんにとって、球場で生ビールを買うことでしか得ることができない、替えのきかない体験です。

明子さんと彼にとっての価値のちがい

 このように、明子さんの中での球場で飲む生ビールの価値には、味だけでなく、それを購入する過程やシチュエーションを含めた“体験”の価値が上乗せされています。明子さんはそこに800円の価値があると感じているから、支払いに躊躇しないのです。

 一方の彼は、缶ビールという代替案を考えたことからわかるように、球場の生ビールをシンプルにモノとして考えているのでしょう。そんな彼にとって、球場の生ビールには(缶ビールよりも580円高い)800円という価値があるとは感じられないのだと思います。(ここでは値段の比較しやすいビールだけで考えましたが、食べ物でも同様のことが言えるはずです)

「ケチ」というパッケージング

 これは「飲食をどのように捉え、そこにどれだけの価値を置くか」という価値観の違いです。

 明子さんも相談文で「お金の価値観が合わない」と書いてはいます。しかし彼女の中で、彼の価値観はあくまで「すごいケチ」と規定されており、「目をつぶったほうがいい」かどうか迷うような欠点としてとらえられています。

 明子さんは、自分とは異なる彼の飲食に対する価値観を、「ケチ」という否定的な言葉でまるっとパッケージングしているのです。一度「ケチ」というパッケージをつくると、その後で感じた違和感は自動的にそこに放り込まれてしまいます。

 この「ケチ」というパッケージを取り払うことが、明子さんのお悩みを解決するための第一歩なのではないかと我々は考えています。