空き家に住み始めるための移住者向けサポートを充実

――2009年に尾道市から空き家バンク事業を委託されたのも大きな転機だったと思います。

豊田:こちらから働きかけてはいましたね。500軒の空き家があって100人が探しに来ている。あとはマッチングすればいいだけなのに、もったいない!と。それで、空き家バンク事業を市と協働で行うことになりました。

――現在までに約100軒のマッチングをされたんですね。空き家再生プロジェクトが携わるようになってから空き家バンクがうまくいくようになったのはどうしてですか。

豊田:一つは営業時間ですね。市役所だと平日は夕方までで、土日祝日は休み。県外から泊りがけで見に来る人は土日中心だし、地元の若い人でも仕事が終わった夕方以降になりますから、私たちが移住希望者のニーズに合わせて対応できるようになったことはマッチングが進んだ大きな要因だったと思います。

 それと、情報発信ですね。物件ごとに、写真、間取り、地図、コメントなどの詳しい情報を紹介するウェブページを作成しました。利用登録した人は自由に閲覧することができます。あとは、空き家めぐりツアー、一級建築士さんら専門家による無料相談会など、思いつくことはすべてやりました。成約の形態は賃貸、譲渡、売買などケースバイケースです。

――マッチングして終わり、ではなく、実際に住み始めるにあたって、移住者向けのきめ細やかなサポートがあるそうですね。

豊田:移住を希望される方のニーズに応えるためのさまざまなサポートメニューをそろえています。実は、空き家の9割はものがぎっしり詰まった状態。車どころか運搬用の一輪車すら入れないところも多いので、運び出しや分別の手伝いをします。ほかには壁塗りなどのDIY指導、左官や電気工事の道具の貸し出し、軽トラの貸し出しなどを行っています。

 移住というと、シニア世代の田舎暮らしをイメージする人も多いと思いますが、尾道に来られる方は20~40代の若い世代、ファミリー層が中心です。だいだい脱サラして来られる方が多いですね。パン屋さんやカフェを始める方、漫画家、デザイナー、カメラマン、ライターといったクリエイティブ系職種の方、建築士、大工、行政書士などの資格を持っていて起業される方もいます。空き家を紹介するのは旧市街の狭いエリアですが、去年1年間で15人もお子さんが生まれているんですよ。子どもが増えるのは、地域にとっても希望です。

ゲストハウスをつくったことで若者や外国人観光客が増加

――ゲストハウスを始めたことも空き家プロジェクトとしての大きな転機ですよね。

豊田:そうなんです。小ぶりな物件のマッチングが進む中で、広い町屋、旅館、料亭、医院など、住むには使いづらい大型の空き家はずっと残ったまま。それが大きな課題でした。

 実は尾道には名旅館はたくさんあるんですが、低価格の宿泊施設はほとんどなくて前々から気になっていました。年間640万人もの観光客が訪れるのに、宿泊する人は1割もいないんです。

 あるとき、明治時代に呉服屋さんが商店街に建てた町屋を見せてもらいました。細い路地があって、奥行きが40mもあって、裏庭があって、すごいな、と。みんなで「これならゲストハウス、いけそうやね」という雰囲気になりました。ほかの宿泊施設と競合するんじゃなくて、今まで尾道に泊まっていない層、学生や外国人が安く泊まれる施設であれば、NPOとして運営する意義もあるだろうということで決まりました。語学、お菓子作り、デザインなどが得意な人たちの仕事の場にもなる、ということも考えてのことです。

 1年くらいかけて修理や準備をして、2012年12月にスタートしたのが、「あなごのねどこ」です。ドミトリー形式のゲストハウス「あなごのねどこ」、カフェバー「あくびカフェ」、交流スペース「あなごサロン」などが一緒になった複合施設です。

<上>「あなごのねどこ」前でスタッフの皆さん。<中>「あくびカフェ」は旅と学校をテーマにしたレトロな喫茶店。<下>初めての収益事業がドミトリー形式のゲストハウス「あなごのねどこ」。「あくびカフェ」の奥にある。間口が狭くて奥行の深い建物は「うなぎの寝床」と言われるが、ここのネーミングは尾道特産の「あなご」にちなんでいる
<上>「あなごのねどこ」前でスタッフの皆さん。<中>「あくびカフェ」は旅と学校をテーマにしたレトロな喫茶店。<下>初めての収益事業がドミトリー形式のゲストハウス「あなごのねどこ」。「あくびカフェ」の奥にある。間口が狭くて奥行の深い建物は「うなぎの寝床」と言われるが、ここのネーミングは尾道特産の「あなご」にちなんでいる

――初めて収益事業を行うということで、大変なこともたくさんあったのでは?

豊田:キッチン設備や消防機材の設置などにお金がかかることが分かっていたので、NPO法人として初めて借入をしました。これが難しかったですね。なんせ、それまで事業らしい事業をしていませんし、宿泊業の実績もない。私が購入した北村洋品店の土地を担保に入れたりして、ようやく日本政策金融公庫から500万円を借り入れすることができましたが、こんなことしちゃって……というドキドキ感がありましたね。

――ゲストハウスはもう6年目ですね。年間どのくらいの方が利用されているのですか。

豊田:2階にベッドがあって、一度に泊まれるのは20人ほど。時期によって波がありますが、春休みや夏休みの期間はずっと満室で、年間の稼働率の平均は70~80%くらいにはなっていると思います。借入金も5年で返済し終わり、財務状況はずっとプラスです。料金は1泊2800円です。

――2016年の春には「みはらし亭」というゲストハウスをオープンしました。ここの再生も大変だったそうですね。

豊田:みはらし亭は、元々は1921(大正10)年に建てられた旅館でした。「空き家バンク」を委託されたときからリストに入っていた建物ですが、大物すぎて手をつけられずにいた。しかも、30年間空き家状態。実際に見に来た人は何人かいましたが、成約には至りませんでした。ただ、千光寺山の中腹の崖に建っているので、尾道水道と市街が一望できる抜群の眺望。これを何とかして生かしたいとずっと願っていた物件でした。

 幸い、「あなごのねどこ」の経営が安定していましたし、みんなで話し合った結果、「ここを第2のゲストハウスにしよう」と決まりました。ただ、建物の改修工事に2000万円もかかるとあって、資金調達が大きな課題でした。「あなごのねどこ」の経験と返済実績をもとに日本政策金融公庫や有志からの借り入れをしたり、補助金や助成金をいただいたり。クラウドファンディングでも500万円が集まりました。それでなんとか調達できたのです。

大正10年に建てられた旅館をゲストハウス「みはらし亭」として再生。千光寺山中腹の崖に立ち眺望が素晴らしい
大正10年に建てられた旅館をゲストハウス「みはらし亭」として再生。千光寺山中腹の崖に立ち眺望が素晴らしい

 「みはらし亭」は車が入れない斜面地にあって、改修作業は資材運びからして困難でした。工事だけで1年半もかかりましたが、さまざまな職人さんたちの献身的な取り組み、ボランティアで仕上げ作業に当たってくれた多くの人々のおかげで、再生にこぎつけました。

 「みはらし亭」もドミトリーで、小さい個室も2つあります。ベッドではなく、畳に布団を敷くスタイルです。宿泊料金は1泊2800円。大きな荷物を持って登ってくるのは大変なのに、連日大盛況です。

尾道にとって空き家は負の遺産ではなく地域資源

――NPO法人としてゲストハウスという収益事業を始めて、見えてきたことはありますか。

豊田:実際、尾道に若い人や外国人の観光客が増えました。それは、うちだけの努力じゃなくて、ほかにも何軒かゲストハウスができたことや、駅前桟橋のあたりに「onomichi U2」という古い倉庫を利用したサイクリング拠点ができたことも関係していると思います。

 ここは観光客が大型バスで来るような場所じゃないので、お客様のほとんどが個人旅行者です。台湾、香港などのアジア系の方、ヨーロッパの方も多いですね。一度来て、尾道のお寺や街に興味を持ってくれる人も多いようで、海外のお客様のリピーターがたくさんいらっしゃいます。

――空き家再生は尾道が先駆け的存在ですよね。全国の同じような志を持つ方に対して、成功するにはどうしたらいいのか、アドバイスをください。

豊田:尾道の場合は、空き家が負の遺産ではなく地域資源の一つだった、という要素が大きいと思います。ほかの街も、そういうものが何かあると思うんです、自然とか、産業とか、農業とか。よそにはないもの、その地域ならではのものに早く気づいて磨きをかけることが大事ですね。それをネットで発信すれば、それが好きだという人が集まってくる。

 私たちの活動範囲は港町の3キロ圏内くらいの中だけですが、そんな小さなエリアの特徴を生かしていくだけで街は面白くなると思います。

<取材を終えて>
大林宣彦監督の尾道三部作などで知られ、幅広い世代で人気を誇る尾道。一度は訪れたいまちでした。豊田さんたちの空き家再生プロジェクトが手掛けた物件は、どれも温かい空間でした。「あなごのねどこ」「あくびカフェ」「三軒屋アパートメント」「北村用洋品店」…。まるで、映画の舞台のようにスタイリッシュでキュートで居心地がよく、心の中で「なんと素敵なところなんだろう」と何度もつぶやきました。日本中どこでもあるところではなく、尾道にしか存在しない場所。時間をかけてみんなで話し合い、みんなで荷物を片付けて、みんなでつくりあげていく空き家再生の醍醐味です。みんなが当事者になって主体的にかかわっていく、だから魅力的なまちになっていくんだなと思いました。「空き家は負の遺産ではなく地域資源」という豊田さんが一番印象に残りました。

聞き手=麓幸子:日経BP社 日経BP総研フェロー 取材・文=田北みずほ 撮影=大槻純一
(2018年9月18日にサイト「新・公民連携最前線 」のコラム「麓幸子の『地方を変える女性に会いに行く!』」に掲載された記事を転載しています)