ブログで再生作業の様子を発信。思いがけない反響が寄せられる

――空き家再生の第1号物件となった通称「ガウディハウス」はどうやって探したんですか。

豊田:「ガウディハウス」は山の斜面に建つ木造2階建ての和洋折衷住宅で、昭和初期の建築です。たまたま知り合いから大家さんを紹介していただいて、中を見せてもらう機会に恵まれました。外見も面白いのですが、2階に上がる13段の階段はすべて段板の形が異なっているとか、防空壕を兼ねた地下室があるとか、大工さんの技術の粋を尽くした凝った造りに驚かされました。大家さんが解体しようかと思っていると聞いて、壊されないために、という思いで2007年5月に私が買い取りました。

――即決だったんですね。

豊田:家族には事後報告でした(笑)。夫は京都で数寄屋大工の修業をした大工なので同じ志を持っている仲間でもあります。「見る目があるな」と言ってくれました。

――それがNPOをつくるきっかけになったんですか。

豊田:その頃から、「尾道の空き家、再生します」というブログを始めたんです。双子の息子が2歳になったばかりで、大変なときだったんですけど、ガウディハウスでの作業風景とか、尾道の空き家問題への思いなどを書いていたら、思いのほか大きな反響がありました。

 100人くらいからいただいたコメントの中で多かったのは、「移住したいんですけど、ほかにいい空き家ないですか」という相談。県外や遠方の方がわざわざ会いに来られることもありました。そのとき、私と夫だけでは1軒か2軒しか再生できないけど、この100人が1軒ずつ持ってくれたら100軒はどうにかなる、と思ったんです。古い空き家を尾道の魅力として使いながら、昔ながらの街並みを残し、次の世代にバトンタッチする。それを尾道スタイルとして定着させるには、個人ではなく団体としてやっていくほうがいいのでは、と考えるようになりました。

 ちょうど、空き家を探している6年の間にいろんな仲間ができていました。みんな、「空き家は古いし不便だけど、それが尾道らしくて面白いよね」という価値観の持ち主。そうした仲間30人で2007年7月に任意団体「尾道空き家再生プロジェクト」を立ち上げ、翌2008年にNPOの法人格を取得しました。

 2009年2月には、昭和30年代に建てられた衣料品店を「北村洋品店」として再生。ここは多くの方に携わってもらいたくて、学生や子育て世代の人たちに声を掛け、中にあった荷物の片づけ、漆喰の壁塗り、タイル貼りなどを体験してもらいながら1年がかりで再生しました。現在は子育てママの井戸端サロン、尾道空き家再生プロジェクトの事務所として活用しています。

昭和30年代に建てられた衣料品店を「北村洋品店」として1年がかりで再生
昭和30年代に建てられた衣料品店を「北村洋品店」として1年がかりで再生
昭和30年代に作られた集合住宅を「三軒家アパートメント」として再生。カフェや中古レコード店などが入り、サブカルチャーの発信地になっている
昭和30年代に作られた集合住宅を「三軒家アパートメント」として再生。カフェや中古レコード店などが入り、サブカルチャーの発信地になっている
昭和30年代に作られた集合住宅を「三軒家アパートメント」として再生。カフェや中古レコード店などが入り、サブカルチャーの発信地になっている