悪人に対する正しい裁きとは何か
初めは自分の精神が崩れ始めたことに気が付いていない最上でしたが、次第に受け入れて、むしろそれを正当化していく異常さを見せます。見ている側とすれば、最上の人間性を嫌悪しつつも、それでも全否定することは難しく、それが本作の見どころであり、一番苦しいところとも言えます。
悪人には罰を与える。それが共通認識だとしたら、どんな裁きが正しいのでしょうか。法にのっとった裁きだけが許されるのか、それとも法を超えての裁きを下すべきなのか。
もしも自分が検事だったならば?
また、それが犯罪行為とまではいかずとも、日常生活のささいなことであっても、今後はどうすることが正しいのかと考えてしまうかもしれません。
友人、知人の行動が許せない場合、どうやってそれを解決するか。直接本人に物申すか、誰かを介して伝えるか、それとも実力行使か。
本作を鑑賞することで、何が正しいのか分からなくなり、一体誰が悪人なのかも曖昧になると思います。まるでこちらの良識、良心が試されているような……。
善悪の基準は人それぞれ持っているものですが、共通認識を超えてくるのです。
そのモヤモヤと苦しみが表現されるラストは絶対に見逃さないでください。
それではまた。映画カタリストのゆうせいでした。
『検察側の罪人』
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文/永井勇成