誰もがエリートにはなれない現実

 「小さい頃から、誰にも叱られることなく、道を踏み外すことなく、真面目にやってきた。なのに、社会に出た途端、この人生ハードモードは一体どういうこと? 私より不真面目にチャラチャラやってきた人のほうがうまくやっているのは、どういうわけ?」そんなドラミ女子の心の叫びが聞こえてくるようです。

 苦しんでいるドラミ女子たちの多くは、自尊心(自分を大切にする気持ち、プライド)を満たす仕事上のご褒美を、以下の2種類に限定している傾向があります。一つは、自分の能力が数字として“公平に”可視化される「超高給」。もう一つは、「いい子」として人のためになっている実感を得られる「社会的意義」です。

 「超高給」を獲得するロールモデルの典型は、外資系のコンサルティング会社や一部上場企業でのバリキャリ。究極はシェリル・サンドバーグ(Facebook社のCOO)あたりでしょうか。「社会的意義」を獲得するロールモデルは、国際的な公的機関や非営利団体のスタッフ、社会起業家などがそれに当たるでしょう。開業医や士業の中にも、そういった方がいるかもしれません。

 しかしそんな社会的エリートは、ごく一部でしょう。ほとんどのドラミ女子は、かつて進学校のクラスや大学のゼミで机を並べた「ごく一部のエリート」の活躍がSNSなどで視界に入るごとに、自尊心がどんどん削られていきます。みくりのように正社員になれなかったドラミ女子なら、なおのこと。「悔しい」と周囲に愚痴をこぼすことすらできない人もいるようです。

 そこでドラミ女子は考えます。自分が今までの人生で最も快適だった場所はどこだったっけ? ――そう、学校です。学校では、課題の範囲、達成すべき水準、納期が明確で、誰もが納得する「正解」が存在し、その達成度によって、極めて公平に評価が下るからです。そんな「学校的な法体系」に近い、あまり専門知識を必要としない仕事に意外と高学歴の女性が多く従事している理由は、こんなところにあるのではないでしょうか。

 もちろん、どんな職業に就いていようが、学校で得た専門知識が実務に生かされようが、生かされまいが、収入がいくらであろうが、何も問題はありません。むしろ、学識や教養が収入にしか還元されないとするのは、あまりに貧しい考え方です。

 しかしドラミ女子の中には、現状に不満を抱き、日々悔いている人もいます。会社で思ったような働き方ができない、思ったような職業に就けなかった、思ったような収入が得られなかった――。そんなふうにネガティブに考えてしまうドラミ女子は、一体どうしたらよいのでしょうか。