いつの日か「自分に必要な経験だった」と思えるように

―厄年の過ごし方が、その後の人生にも影響してくるんですね。どれも「必要な経験だった」と言えるように、発想の転換をしながら乗り越えたいです。

 つらいことや悲しいことが起こると、人は理由が欲しくなります。でも、それを厄年のせいにして、「なんで私がこんな目に」とふさぎ込んでいても、状況は改善されません。厳しい状況でも、厄年に起こることはすべて自分が成長するきっかけだと思って前に進むと、厄年が終わったときに、「いろいろ乗り越えてきたんだから、私はこれからも大丈夫」という自信につながるのです。

 そのときは大変でも、いつの日か「あれは自分にとって必要な経験だった」と思えるように、厄年で起きることは、自分が成長するためのステップだと考えてみましょう。すると、つらい経験を乗り越えた分、人の痛みや気持ちを理解できるようになり、苦しんでいる人を助けられる人になれます。

 新年を迎え、これから厄払いに行こうと考えている人は、「悪いことが起きませんように」と怖がりながら行くのではなく、「厄払いをするんだから大丈夫」と考えてみてください。一方、すでに厄払いを済ませた人は、「もう厄は払ってあるから大丈夫」と考えてみるのがいいですね。もちろん、厄払いに行くか行かないかは、その人の自由。私としては、読者の皆さんが自分に回ってくる「役」を全うしながら、どんどん新しいことに挑戦して、さらに飛躍することを願っています。

どすこーい! と、新しいことに挑戦していきましょう イラスト/小山健
どすこーい! と、新しいことに挑戦していきましょう イラスト/小山健

聞き手・文/青野梢 イラスト/小山健 写真/PIXTA